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新しいマヌの流れ ― 『ライアン・マッギンレー BODY LOUD!』

シュタイナー思想の継承者、ベルナード・リーヴァフッドは、1992年に亡くなるに際して霊的遺言のように残した最後の著書『魂の救済』の中で、人類の進化を導く3つの霊的な流れについて語っている。

ひとつ目は、霊的な現実への洞察を言語化して伝え、認識の生命化を導くシュタイナーの流れ。
ふたつ目は、地上の物質から作られたものに霊的な生命を吹き込むローゼンクロイツの流れ。
そして、みっつ目は、優しさと愛によって人間の魂の救済を目指すマヌの流れ。
これら3つの流れは、人間の霊魂体のどこを中心として働かせるかで、それぞれ表に現れる姿に違いが出て来るが、本来は人類の進化という共通の目的を持っているものであり、互いに認め合い、協働することが必要だと説いている。

21世紀に入って、悪の諸力が目に見えて勢いを増している。
シュタイナーは悪の形態を2つに区別し、ルチファー及びアーリマンと呼んだ。
ルチファーは人間の魂を地上から逸らし、美しい幻想の世界に導こうとする。
アルコールやドラッグ、或いはゲームへの逃避、原理主義的宗教への妄信など。
一方、アーリマンは人間を地上に強く押し付けて、物質的な事柄とのみ結び付け、人間の知性を出来るだけ早期に発達させようとする。
形式的で機械的な思考、生命のリズムを無視したスピードと効率の追求、その象徴となるIT技術。
それによって人間の不安と不快感は増大する。
人間の霊の領域は難攻不落なので、悪の諸力は専ら魂の領域を攻めて来る。
それには、3つの霊的流れの有機的な協働が悪の諸力に立ち向かい、魂を救済する力となる。
「あなたはその流れのいずれに属しているのか」との問いをシュタイナーは投げかける。

3つの魂の流れを職業的なイメージで見れば、
ひとつ目のシュタイナーの流れは学者や詩人、
ふたつ目のローゼンクロイツの流れは芸術家、
みっつ目のマヌの流れは医療やセラピーの現場で働く人、
ということになろうか。

東京オペラシティ アートギャラリーで開催中の『ライアン・マッギンレー BODY LOUD!』を観た。
最初に感じたのは違和感だった。
事前に想像していたのはビジュアル的にきれいな写真だったのだが、拡大されたプリントは粒子が粗く、作品を丁寧に仕上げること自体に重きを置いていない感じがした。

展示された作品を一覧して印象的なのは、モデルとなった若者の表情に全く構えが無いことだ。
あけっぴろげな表情でカメラの方を見詰める若者、
カメラの存在など無視してあさっての方向を向いている若者、
眼を閉じて自分の内なる世界で悦楽を感じている若者。
それぞれ、何ものにも捉われず、自由にふるまっている。

この写真家に撮影されるとき、被写体となった若者たちの魂は解放されている。
マッギンレーの制作プロセスに於いては、撮影する瞬間にすべてが在る。
若者の魂と写真家の魂の出会い。
若者は写真家を信頼し、衣服を脱ぎ捨て、魂のレベルで裸になる。
シャッターが切られる毎に若者の魂は浄化される。
展示されたプリントはその幸福な瞬間の記録。
鑑賞する者は、人と人との幸福な出会いの軌跡を観て、心癒される。

自然の風景の中に置かれた若者の裸体は風景と溶け合わず、異彩を放つ。
しかし、風景と喧嘩せず、絶妙の調和を保っている。
そして、裸体の若者はのびのびと解放されている。
鑑賞する者は、人間と自然の幸福な関わりを観て、魂が解放される。

ライアン・マッギンレーの写真は芸術表現の手段というよりも、むしろ一種のセラピーのように私には思われる。
ローゼンクロイツの流れではない。
新しいマヌの流れを観る思いがした。
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テーマ : 美術館・博物館 展示めぐり。
ジャンル : 学問・文化・芸術

アサーションのトライアングル

私はこれまで企業研修や地域のセミナー等で、コミュニケーション研修の一環として、アサーションのワークショップを行って来た。
コミュニケーション能力というのは社会的な要請であるが、果たしてそれぞれの個人がコミュニケーション能力を身に付けたいという自発的な欲求を持っているのか、それとも身に付けなければいけないという義務感を感じているのか、は様々だろう。

これまでの研修の中では、アサーションの定義を『相手を尊重しつつ、自分の感情や要求を誠実に率直に対等に伝えることの出来る態度やものの考え方』として紹介して来た。
しかし、この定義は、コミュニケーション能力を身に付けることを前提とすれば意味が有るが、個人の心の問題に対してどのような意味を持つのか、については余り心に響かないかも知れない。
そこで今回は、個人の心に対するアサーションの効用について考察してみたい。

カウンセリングルームを訪れるクライエントの多くが異口同音に訴えるのが、「自分に自信が無い」「他人の評価が気になる」「何となく不安を感じる」というものである。
自分の中身を何か空疎に感じている。
日本社会は同調圧力が強く、他者と波風を立てないように、他者に嫌われないようにふるまっているうちに、一体自分が何をしたいのかが分からなくなってしまう。
或いは、自分が何をしたいか分からなくても、周りに従って今まで何となく進めて来たが、その先どのように生きて行けば良いのかが分からない。

自分が一体何者で、本当は何をしたいのかを安全・安心な環境の中でじっくりと確かめること。
これがカウンセリングルームの中で行われる大切なことのひとつだが、自分がやりたいことが見えて来た後でそれを実行することが次の課題となる。
ここでアサーションの出番となる。

本当は自分のやりたいことを自由にやりたいのだが、そうすることには抵抗がある。
怖れがある。
自分が言ったこと、したことの結果がどうなるか、の責任を負わなければならないし、場合によっては新たな敵を作るリスクも有る。
自由には責任が伴う。
しかし、逆に考えれば、責任を取る覚悟が出来れば、自由も生まれる。
自由と責任を両立するようにコントロールすること。
これがアサーションの本質的な定義だと私は考える。

コントロールという言葉は、支配とか、制御とか、統制とか訳されるが、その意味するところは、自分の思い通りに動かすこと。
自分がコントロール出来ている感覚が得られる時、人は自由を感じる。
逆に、他者にコントロールされていると感じられる時、人は不自由(束縛)を感じる。
それでは、アサーションというのは、何をどのようにコントロールすることなのだろうか。

アサーションでは、
A)私は自分をコントロールする。
B)私は他者にコントロールされない。
C)私は他者をコントロールしない。
という3つの基本姿勢が重要となる。
A)とB)は自分の自由を確保し、自分を尊重すること。
B)が徹底出来れば、他者の評価に左右されなくなる。
一方、C)は他者の自由を保証し、他者を尊重すること。
互いに相手をコントロールしないことによって、初めて対等な関係が成り立つ。

他者をコントロールしない、ということは、他者に何かを要求する時、その返事について過度な期待を持たないこと。
相手がこちらの意に沿わない返事をする自由を与える。
執着を捨て相手を自由にすることで自分も自由になる。

自由と責任を結ぶ線を底辺として、コントロールを頂点とする三角形を描けば、コントロールが上手に出来るほど、自由と責任が大きくなり、三角形の面積が増える。
この面積に当たる部分に育って来るのが自信なのだ。
中心に自信が満ちて来れば、空疎な感覚が消え、不安も無くなる。
これがアサーションのトライアングルであり、アサーションの原理である。
アサーションのトライアングル
自由は子どもの心(C)が溌剌と動いていることの証。
責任は親の心(P)が機能しているからきちんと取れる。
そして、コントロールは大人の心(A)によって司られる。
アサーションのトライアングルが拡大していくに連れて、心が成長し、より大人になっていく。

このように見て来ると、アサーションが個人の心の解放に大変有効な考え方であることが分かる。
カウンセリングルームでは、個々のクライエントの事例に即してコントロール力を強化するための手法を教えたり、責任能力を高めるための課題設定をしたり、様々なエクササイズを適用する。
集合研修でよく紹介されるDESC法もコントロール力を高めるための有効な手法のひとつである。

アサーションは個人の心を解放するためのロゴス的なアプローチである。
同調圧力が強い日本社会では、真綿で絞め付けられたように、いつの間にかコントロール力を奪われてしまい勝ちだ。
コントロール力を取り戻すためには、真綿を切り裂くハサミが要る。
アサーションは自由への道を切り拓くロゴスのハサミである。

テーマ : メンタルヘルス
ジャンル : 心と身体

精神のメタボリズム

太宰治は不思議な作家だ。
複数回に亘る自殺未遂と心中未遂を繰り返し、バルビツール中毒で入院した太宰が、何故、昭和13年の天下茶屋逗留を境に、自己肯定的な中期の傑作群を産み出すことが出来たのか。
太宰自身にもはっきりとした理由は分からなかったようで、「東京八景」の中に次にような文章を残している。

「下宿の一室に、死ぬる気魄も失って寝ころんでいる間に、私のからだが不思議にめきめき頑健になって来た」

「人の転機の説明は、どうも何だか空々しい、その説明が、ぎりぎりに正確を期したものであっても、それでも必ずどこかに嘘の間隙が匂っているものだ、人は、いつも、こう考えたり、そう思ったりして行路を選んでいるものでは無いからでもあろう。多くの場合、人はいつのまにか、ちがう野原を歩いている。」

普通の人と太宰治との大きな相違点は、太宰は「書く」と言う表現行為を持っていたことだ。
真摯に書くことによって自分の中に溜まった毒を排出し、自らを浄化することが出来たのではないだろうか。

「メタボリック・シンドローム」「生活習慣病」と言う言葉が人口に膾炙して久しい。
これは要するに、カロリーのインプットとアウトプットのバランスが崩れて、身体の中に過剰な栄養が溜まり、不具合を引き起こす現象である。

このインプットとアウトプットのバランスが崩れることによって生じる不調は、メンタルの問題にも当てはまる。
精神のメタボリズム
精神的なメタボリズム(新陳代謝)で出し入れするものは情報だ。
人は五感を使って外界の情報を取り込む = Impression。
その情報を脳を駆使して処理する = Process。
そしてその結果を口や手や全身を使って表現する = Expression。

インプットとアウトプットのバランスが取れている時、人は心地よさを感じる。
インプット<アウトプットの時、人は疲弊する。
インプット>アウトプットの時、人はメンタル不調を引き起こす。

メンタル不調への対処法は色々あるが、基本的には情報のインプットを減らし、アウトプットを増やす働きを促すものとの見方が出来る。
睡眠や休息を十分に取ることは情報のインプットの減少に直接的な効果がある。

情報には2つの種類がある。
それは、サウンドとノイズだ。
サウンド(sound)は「健康な」と言う意味の形容詞でもある。
サウンドを取り込む分には大抵大丈夫だが、世の中には残念ながらノイズが非常に多い。
ノイズを排し、サウンドを上手く取り込めるようにするのが情報リテラシーなのだが、全ての領域で情報リテラシーを磨くことは至難の技で、人はいつの間にか、ノイズを取りこんでしまう。
そこで、ノイズを主として過剰に摂取した情報を排出するための作業が必要になる。

一番オーソドックスで日常的な表現方法は話すことだ。
自分が見聞きし、体験したことを誰かに話すことで、人は情報を整理し、秩序を与えることが出来る。
しかし、その誰かがいない時、自分の中が一杯になり、苦しくなる。
それがカウンセリングを求める動機となることもある。

太宰治は誰かに話す代わりに自分で書いた。
そして自らの力で危機を脱した。
太宰治は稀にみるセルフカウンセリングの達人だと思う。

テーマ : 人生を豊かに生きる
ジャンル : 心と身体

皆既月食

月食2

友人が皆既月食の写真を送ってくれた。
冬は厳しく、冷たく見える月が、フワッとして柔らかく見える。

太陽と月と地球の影が空で同じ大きさであるのは、実に不思議だ。
地球の影はいつも夜空を彷徨っているけれども、満月のスクリーンを背景にした時だけ、その姿を現す。
まるで、陽の月と陰の月が重なるように。

テーマ : セラピー&ヒーリング
ジャンル : 心と身体

経験と学び

人間は経験によって学ぶ、と言われる。
それでは、経験は全て学びに通じるのだろうか。
私は、学びに通じ易い経験と通じにくい経験があると思う。

学びに通じ易い経験とは、感動を伴った体験だと思う。
例えば「アハ体験」と呼ばれる「ああ、分かった!」と感じる体験は一種の感動を伴った体験であるが、この「アハ体験」をすると、そこで得られた知識は深く記憶され、その人の知識体系の中に組み込まれて、知識全体を豊かにする。
実生活に於いて、或いは、芸術作品に触れて得た感動体験は、知識と感情の組み合わさった意味を持つものとして心の深いところに届き、情緒的領域を拡げる。
感動体験を通じて人は多くの知恵を獲得し、成長し、人生を豊かにする。

「体験」とは現実の生活に於いて実際に体験することとは限らない。
想像の世界の出来事でも、それが自分の身体に響くものであれば、自分の骨肉となる。
この「自分の身体に響く」ことが、別の言葉で言えば「感動」なのだ。
心と身体とは密接な関わりを持っている。
従って、身体に響く体験をすることで、その体験の記憶は心に深く刻まれる。

カウンセリングの効用は、この身体に響く体験をすることによって生じる。
安全・安心な場の中で内省することは、潜在意識のレベルで旅し、体験することだ。
この旅によって、今まで気付かなかったものが見えて来る瞬間がある。
この瞬間、クライエントは「アハ体験」、或いは、思わず泣き出すような深い感動を覚える。
この感動体験によって得た認知は強力で、今まで支配していた否定的な認知の上に上書きされる。

カウンセリングは感動体験の玉手箱である。
気付きを得たクライエントの表情はスッキリとしてとても美しくなる。
それを見ていると、カウンセラーも大きな感動を覚える。
癒しは場の力によって行われる。
クライエントもカウンセラーも、場の力からパワーをもらい、浄化される。

カウンセリングは人生に於ける学びのための早道とも言える。

テーマ : セラピー&ヒーリング
ジャンル : 心と身体

プロフィール

迷林亭主

Author:迷林亭主
迷林亭主ことカウンセリングルーム・メイウッド室長 服部治夫。
三鷹市の住宅地に佇む隠れ家的なヒーリグ・スペース。
古民家を改装したくつろぎの空間で、アートセラピーや催眠療法などを活用し、カウンセリングやヒーリング、創造性開発の援助に取り組んでいます。

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