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詩の言葉

「わたしたちはほんとうに言葉を選ぶことができるのであろうか。詩的言語というのは、つきつめると言葉によって逆に、わたしたちの生が選ばれるのではなかろうか。」(前 登志夫 『歌の思想』より)

私も全くその通りだと思う。
詩は書こうと思っても書けない。
しかし、書かなければならない必然性が生じた時、まるで啓示のように言葉が降りて来る。

詩は言葉であって言葉ではない。
だから詩は動く。言葉は動く。
詩人の心の動きにしたがって動く。

言葉で説明することが出来ない何かを、言葉を使って表現しようとする試みが詩だ。
詩は言葉を超えた言葉なのだ。

村上春樹の『1Q84』の中に「説明しなくてはわからないということは、説明してもわからないということだ」という台詞が出て来る。
説明しても分からない人には分からないが、説明しなくても分かる人には分かるものがある。
それは論理では理解出来ず、感情のレベルや直観のレベルで理解することの出来るものだ。
詩とは正にそのようなものなのである。

カウンセリングの対話は言葉を通して行われるが、言葉で説明出来るレベルの内容に終始しているうちは効果が現れない。
言葉で言い表せない壁に突き当たり、それを超えたところで、気付きが起こる。
まるで啓示のように。
カウンセリングと詩は似ている。

カウンセリングは言葉であって言葉ではない。
だからカウンセリングは動く。言葉は動く。
クライエントの心の動きにしたがって動く。

ル=グィンの『ゲド戦記』の中で、昔は竜と人間が同じ言葉を話していたが、次第に人間が独自の言葉を使うようになって、竜の言葉を理解出来る人間がほとんどいなくなってしまった、としているが、そのくだりを読んだ時、私は、竜の言葉とは詩のことだ、と思った。

竜の言葉、すなわち原初の言葉を取り戻して、宇宙の全体性とのつながりを回復しようとする試み。それが詩であり、カウンセリングなのだ、と私は思う。
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テーマ : セラピー&ヒーリング
ジャンル : 心と身体

プロフィール

迷林亭主

Author:迷林亭主
迷林亭主ことカウンセリングルーム・メイウッド室長 服部治夫。
三鷹市の住宅地に佇む隠れ家的なヒーリグ・スペース。
古民家を改装したくつろぎの空間で、アートセラピーや催眠療法などを活用し、カウンセリングやヒーリング、創造性開発の援助に取り組んでいます。

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