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『少年は残酷な弓を射る』

レースのカーテンが風に揺れている最初のシーン。
庭から射し込む微光に照らされた室内はデルヴォーの絵を想わせる。
そして、映画の最後に近くなって、庭の光景が明らかにされるが、それはやはりシュールレアリスティックなものだった。

映画全編を通して満ち溢れる赤のイメージ。
明らかに血液を想起させるそれは、過剰なエネルギーが還流し切れずに滞っている様を感じさせる。
時系列的に最初に現れる赤のイメージはスペインの収穫祭だが、そこでは、画面一杯に生命の横溢が覆っている。
そして時系列的に最後の赤のイメージは、エバが住む小さな家の壁面に浴びせられたペンキの色だが、それは無機的で乾いており、もはや生命の名残りは無い。
ヒロインの心のエネルギーの質量に比例して、赤のイメージが変遷しているようだ。

世界各地の地図を壁面一杯に貼ったエバの部屋。
彼女にとって、精神を自由に解放出来る自分だけの世界。
だが、ケビンはその地図の上にペンキのドリップを撒き散らしてしまった。
エバの世界は破壊された。
悲鳴を上げるエバ。
笑みを浮かべるケビン。

壁面はまるで、フェルメールの絵の上にポロックがポーリングをしたコラボの様。
フェルメールの秩序は損なわれてしまったが、そこには無邪気な新しい創造の芽が在る。

ケビンのどこが無邪気だって?
あれは悪魔の子ではないか!
そう、悪魔のように描かれている。
しかし、忘れてならないのは、この映画は終始、エバの視点で描かれていることだ。
エバの主観で語られたケビンの姿が描かれているのだ。
もし、ケビンの視点で撮られた映画が在ったら、随分違うものになっていただろう。

エバは日曜大工で、ケビンの部屋の壁を濃いブルーに塗る。
映画の最後の方になって、ケビンの部屋が映されるが、壁面の濃いブルーの色はきれいに保たれている。
ケビンはエバの塗った壁面の中で、エバの整えた部屋の中で、事件を起こす直前まで、毎晩大人しく寝ていたのだ。

服役するケビンの面会に通うエバ。
全てを失ったエバには守るべき立場は何も無い。
エバの顔には母親の真情が現れている。
「何故したの?」
「分かっているつもりだったけど、今は分からない」
答えるケビンの表情も素直だ。
ジンと来るシーンだが、ここに至るまでの犠牲が何と大きかったことか。

人生は重層的な夢の重なりで出来ている。
夜見る夢もさることながら、私達が営んでいる実生活も、これからの可能性の有る生き方も、全ては夢であり、人生を生きるということは、特定の夢を選択することに他ならない。

人生(=夢)に実感が持てない時、それはシュールレアリスティックなものとして映る。
人生(=夢)を受け入れ、引き受けて生きる時、実感のこもった生き方が出来る。
この映画は、シュールレアリスティックな夢を浮遊したあげく、実感を取り戻す過程を描いたもののように見える。
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テーマ : 映画レビュー
ジャンル : 映画

プロフィール

迷林亭主

Author:迷林亭主
迷林亭主ことカウンセリングルーム・メイウッド室長 服部治夫。
三鷹市の住宅地に佇む隠れ家的なヒーリグ・スペース。
古民家を改装したくつろぎの空間で、アートセラピーや催眠療法などを活用し、カウンセリングやヒーリング、創造性開発の援助に取り組んでいます。

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