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2次元の箱庭 ― ポール・デルヴォーの世界

府中市美術館で開催中の『ポール・デルヴォー ― 夢をめぐる旅』を観た。

デルヴォーの絵は観ていて落ち着く。
絵の中の世界に留まっていたい、という気がする。
シュールレアリスムの画家の描く世界は、彼らが既成概念への挑戦といった攻撃性を内に秘めていたからであろうか、居心地が悪く、息詰まる感じがする。
それに対してデルヴォーの絵が落ち着くのは、彼自身がその中に住みたい世界を肯定的に描いているからなのだろう。

デルヴォーは自身の感覚・感情に忠実に絵を描いていく画家だ。
自分が生活の中で得た感動や啓示を素直に表現したい希求を持っている。
自分の内に在るものをそのまま画布に叩きつけようとすれば、それは表現主義や抽象画に向かうことになる。
現に1920年代から30年代半ばにかけて表現主義的な絵を描いている。

しかし、直截的な絵画表現は彼の本来の気質に合わなかったようだ。
彼は30年代半ばよりシュールレアリスムの影響を受け、直線を多様した諧調ある画風へと舵を切って行く。
そして独特の郷愁を感じさせる夢の風景が現れて来る。
自分の絵が単なる表現手段であるのに満足出来ず、自分の居場所となる世界を築きたいと思ったからなのだろう。

具象的な事物を描き込んだ諧調的な絵画は言語に似ている。
そのまま描けば写実になるが、デルヴォーの視た世界は「言語」では語ることの出来ないものだった。
言語で語ることの出来ないものを言語で語ろうとする試みが詩だ。
従って、デルヴォーの絵は詩的なものになる。

彼は「詩」を作るために、「言葉」である絵画要素に生身を感じさせないように工夫した。
かれの絵に描かれた人物や事物はまるで人形や模型のように描かれている。
四角い画面の中に様々な建築物や乗り物の模型や女性のフィギュアが配置されるデルヴォーの絵は正に2次元の箱庭を思わせる。
人工的なもので設えられた世界だからこそ、様々な思いやイメージを自由に詰め込んだり、投影したり出来る夢の遊び場となる。

習作と完成作とが並べて展示されている作品がいくつかあり、それらを見比べて観ると面白いことに気付く。
そのひとつは、習作に描かれた女性達は若干生身の女性を感じさせ、楽屋裏でくつろいでおしゃべりしているようにも見えることだ。
それが、完成作になると、完全に人形の女性となり、舞台の表面に出て来て、雄弁な無言劇を繰り広げているように見える。

もうひとつは、習作の中に男性の裸体像や黒衣の男性の影が描かれることが多いが、完成作ではそれが一掃されて、女性像だけになっていることだ。
習作に描かれた女性達は比較的デレッとした感じをしていて、或る意味とても女性的で、それが絵の中に描かれた男性像とバランスを取っている。
一方、完成作の女性像は凛としていて、男性性を内包し、自立している。
それは、作者自身が居場所を確保すべく絵の中に入り込んで完成作へと統合していく弁証法的なプロセスを見ている気がして来る。

デルヴォーの絵を観ていて居心地良く感じるのは、私の中にもデルヴォーと同じような心性があるからなのかも知れない。
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テーマ : 美術館・博物館 展示めぐり。
ジャンル : 学問・文化・芸術

プロフィール

迷林亭主

Author:迷林亭主
迷林亭主ことカウンセリングルーム・メイウッド室長 服部治夫。
三鷹市の住宅地に佇む隠れ家的なヒーリグ・スペース。
古民家を改装したくつろぎの空間で、アートセラピーや催眠療法などを活用し、カウンセリングやヒーリング、創造性開発の援助に取り組んでいます。

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