対照的な精神世界 モローとルオー
パナソニック汐留ミュージアムで開催中の『モローとルオー 聖なるものの継承と変容』を観た。
冒頭に展示されている二人の画家の自画像がとても印象的だ。
モローの眼差しは射抜くように鋭く、緊張感がある。
それは外の世界の物象を厳しく吟味する。
しかし、信じるものを見出せない淋しさ、孤独感がにじみ出ている。
一方、ルオーの眼差しは穏やかで夢見るようだ。
それは自分の内なる豊かな思いに向けられ、充足している。
『ユピテルとセメレ』に描かれたユピテルの顔は何故か灰色で描かれ、その眼差しは満たされない淋しさを感じさせる。
全能の力を手にし、外の皆から畏怖されながらも、自らは底知れない寂寥感を感じている。
ユピテルの眼差しは作者モロー自身の眼差しを連想させる。
ルオーが描いた『石臼を回すサムソン』。
暗い絵だが、画面の左上には石段の上に希望の光が見える。
サムソン及び作者の心の中の精神的な部分では小さいながらも確かな光がある。
それ故、地底でのつらい労働が崇高な試練のように感じられる。
師モローが弟子のこの作品の模写をしたのは、サムソンの内からにじみ出て来る精神性に心打たれたからに違いない。
モローが描いた『メッサリーナ』の背景にも同様に左上に石段上の出口がある。
しかし、出口の外に見えるのは青黒い夜空である。
モローの心の中の精神的な部分では光ではなく、闇の方が支配的のように見える。
モロー描く『ゴルゴタの丘のマグダラのマリア』の三本の十字架が立つ荒涼とした風景には神の不在を感じてしまう。
一方、同じ三本の十字架をモチーフとしたルオーの諸作品には霊的なものが在ると思わせる安心感がある。
モローの『パルクと死の天使』の寒々とした陰惨な荒涼感。
ルオーの『我らがジャンヌ』の温かく力に満ちた幸福感。
精神性を大切にした師弟の世界は余りにも対照的だ。
ルオーは自分の内面にとても豊かな世界を持っていて、それを引き出し、開花させながら表現している。
だから、何を題材に描いてもそれが自ずと「宗教画」になる。
一方、モローは精神性を大切に思うが自分の内面には十分に無く、様々な神話や宗教的題材にインスピレーションを得ようと努力するが、満足の行く成果が得られない。
モローの絵には悲愴感を感じる。
私が意外に思い、感動したのは、モローが弟子のルオーに宛てた数々の手紙の内容である。
筆不精で他の弟子には自分の住所を知らせるな、と言いながら、ルオーにはものすごく饒舌で慈愛に満ちた手紙を書き送っている。
ルオーに対し、実の息子以上の愛情を注ぎ、その才能の開花を期待して、心のこもったアドヴァイスを与えている。
自分の持っていない才能を持っている弟子に対して嫉妬することなく、むしろ、自分が思うように達成出来なかった精神的絵画を託す後継者として愛し、育てたモロー。
モローは教育者として、人間として立派だ。
モローがいなければ、あの表現力を持ったルオーの絵画は存在しなかっただろう。
モローの最大の貢献は20世紀最高の宗教画家ルオーを育てたことだと思う。
冒頭に展示されている二人の画家の自画像がとても印象的だ。
モローの眼差しは射抜くように鋭く、緊張感がある。
それは外の世界の物象を厳しく吟味する。
しかし、信じるものを見出せない淋しさ、孤独感がにじみ出ている。
一方、ルオーの眼差しは穏やかで夢見るようだ。
それは自分の内なる豊かな思いに向けられ、充足している。
『ユピテルとセメレ』に描かれたユピテルの顔は何故か灰色で描かれ、その眼差しは満たされない淋しさを感じさせる。
全能の力を手にし、外の皆から畏怖されながらも、自らは底知れない寂寥感を感じている。
ユピテルの眼差しは作者モロー自身の眼差しを連想させる。
ルオーが描いた『石臼を回すサムソン』。
暗い絵だが、画面の左上には石段の上に希望の光が見える。
サムソン及び作者の心の中の精神的な部分では小さいながらも確かな光がある。
それ故、地底でのつらい労働が崇高な試練のように感じられる。
師モローが弟子のこの作品の模写をしたのは、サムソンの内からにじみ出て来る精神性に心打たれたからに違いない。
モローが描いた『メッサリーナ』の背景にも同様に左上に石段上の出口がある。
しかし、出口の外に見えるのは青黒い夜空である。
モローの心の中の精神的な部分では光ではなく、闇の方が支配的のように見える。
モロー描く『ゴルゴタの丘のマグダラのマリア』の三本の十字架が立つ荒涼とした風景には神の不在を感じてしまう。
一方、同じ三本の十字架をモチーフとしたルオーの諸作品には霊的なものが在ると思わせる安心感がある。
モローの『パルクと死の天使』の寒々とした陰惨な荒涼感。
ルオーの『我らがジャンヌ』の温かく力に満ちた幸福感。
精神性を大切にした師弟の世界は余りにも対照的だ。
ルオーは自分の内面にとても豊かな世界を持っていて、それを引き出し、開花させながら表現している。
だから、何を題材に描いてもそれが自ずと「宗教画」になる。
一方、モローは精神性を大切に思うが自分の内面には十分に無く、様々な神話や宗教的題材にインスピレーションを得ようと努力するが、満足の行く成果が得られない。
モローの絵には悲愴感を感じる。
私が意外に思い、感動したのは、モローが弟子のルオーに宛てた数々の手紙の内容である。
筆不精で他の弟子には自分の住所を知らせるな、と言いながら、ルオーにはものすごく饒舌で慈愛に満ちた手紙を書き送っている。
ルオーに対し、実の息子以上の愛情を注ぎ、その才能の開花を期待して、心のこもったアドヴァイスを与えている。
自分の持っていない才能を持っている弟子に対して嫉妬することなく、むしろ、自分が思うように達成出来なかった精神的絵画を託す後継者として愛し、育てたモロー。
モローは教育者として、人間として立派だ。
モローがいなければ、あの表現力を持ったルオーの絵画は存在しなかっただろう。
モローの最大の貢献は20世紀最高の宗教画家ルオーを育てたことだと思う。
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テーマ : 美術館・博物館 展示めぐり。
ジャンル : 学問・文化・芸術