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イメージの力

私は箱庭療法、コラージュ他、各種のイメージを活用したカウンセリングを行っているため、今回、国立新美術館で開催されている『イメージの力』展が大変楽しみであった。

会場に入ると、先ず「プロローグ ― 視線のありか」として、おびただしい仮面が出迎える。
瞳を持った仮面はこちらを凝視しているように感じられる。
古代の人間は仮面の背後に在る存在に怖れを懐いたことだろう。
その怖れが自らの行動を律する。
人間の倫理観の根底に在るもの。
現代人の心に残る名残りが他者の眼を気にする心なのかも知れない。
しかし、それは仮面の背後の存在に比べて大分卑小化されている。

仮面は人が被り、動くことで生命を得る。
仮面を被った者は仮面の象徴する存在になり切る。
仮面を見る立場と被る立場ではものの見え方、感じ方がまるで変わる。
仮面は無くともその立場の違いを活かしたのがエンプティチェアの技法と言えるだろう。

瞳の無い仮面はまるでイメージが異なる。
瞳の有る仮面が動とすれば、瞳の無い仮面は静。
それは沈思黙考する瞑想的な雰囲気を感じさせる。

会場を進むと、「第1章 みえないもののイメージ」のセクションに入って行く。
先ずその中の最初のコーナーは「ひとをかたどる、神がみをかたどる」。

人間は神や精霊など眼に見えないものを把握するために自分の身体に似せて造形し、生きるためのよすがとした。
人間はスピリチュアルな存在を感じていたが、それを見えないまま、抽象的なままで理解することは難しく、手段として具象的なイメージを創り出した。
しかし、人間は自分の身体をモデルに造形したため、イメージに男女の性別が出来てしまった。
男神と女神の誕生。
しかし、本来スピリチュアルな存在に性別は無い。
イメージの限界。
イメージはあくまでもスピリットに触れる手段であり、崇拝の対象ではない。
しかし、偶像崇拝の禁止は徹底されにくい。
イメージの力はそれだけ強い。

次のコーナーは「時間をかたどる」。
人間の見当識は、成長に従って人、場所、時間の順序で獲得される。
イメージの働きも、最初は神と自己と他者という人への認識で活用されるが、次の段階では場所=世界、時間=歴史へと活用領域を拡げて行く。
人(神)、場所、時間を組み合せてイメージ化すると、複数の場面を一枚の画面に構成したマンダラとなる。
視覚化された宗教的な物語。
我々はどこから来たか?
我々は何者か?
我々はどこへ行くか?

次のセクションは「第2章 イメージの力学」。
その中の最初のコーナーは「光の力、色の力」。
ここでは、力や富を有するようになった者が自らの力や富を示すための徴として、或いは、邪悪な力をはねかえす守りの作用として、人は光輝く装身具やきれいな色をした衣装を身に着けたことが紹介される。

そして次のコーナーは「高みとつながる」。
他界や、死者の霊、精霊など、見えないものは見えないものとして無理に視覚化せず、見えないものへのチャンネルを造形化してつながりを持った例が展示される。

この第2章のセクションでは、人間が生活を確立して、自分自身で相当コントロール出来るようになって来ると、スピリチュアルな存在に対して自らが主体性を持った形で関わり、イメージを自分自身のために活用するようになったことが分かる。

ここまでは、人間がスピリチュアルな存在を意識し、それとの関わりに於いてイメージの力を駆使している段階であったが、次のセクション「第3章 イメージとたわむれる」では、イメージを産み出すこと自体が自己目的化して来る。
イメージから怖れが消え、生活を豊かに彩るものになって来る。
霊が物に乗り移った感じで、日本語の古語の「モノ」を想わせる。
生活に密着したイメージの力のピークがここに在る。
これらの展示物を観ていると、この世に生を受けた喜びが感じられる。

第1章から第3章までは、各民族の中での独自のイメージの発展、深化であったが、「第4章 イメージの翻訳」では国際化、消費社会化に伴い、イメージがどのような影響を受けるようになったかが示される。

「ハイブリッドな造形」は国際化によって他文化の影響を受けた造形の例が展示されるが、人間がスピリチュアルな存在への怖れを脱しているため、面白さは有るが、民族伝統のデザインの一貫性や哲学が維持されない分、イメージの持つ精神性は薄まり、力は弱くなって来る。

「消費されるイメージ」では、専ら商品として売られるための作品を生産している例が展示されている。
ベトナムのブリキやアルミの玩具には魅力を感じないが、カナダの先住民族の描いた絵やタンザニアのマコンデ族の木彫は面白く、旅行に行ったらお土産として買ってしまうかも知れない。
しかし、家に帰ると置き場所が無く、お蔵入りになり、やがてゴミになってしまうだろう。
スピリチュアリティを失い、生活の具としての用をなさないイメージは、購入してくれる客を待つ間だけ光を放つ。
それは人間の欲望に照準を合せたイメージだ。
上手くマーケティングされて作られたイメージは力を持つが、その力は刹那的で永続性が無い。
現代では世の中にそのようなイメージが満ち溢れている。
政治も然り、報道も然り。

「エピローグ ― 見出されたイメージ」では、日常生活の実用具に本来の目的を超えた美術品としての価値を見出して展示している。
機能性を備えた生活用具のデザインに美が宿る、という着眼は目新しいものではなく、柳宗悦が提唱した民芸運動と同じである。
未来への展望を示唆することなく、過去のイメージの再評価を以って展覧会の結びとせざるを得なかったことは主催者にとって苦肉の策だったのではないだろうか。

私が本展覧会を通覧して感じたことは時代と共に生産されるイメージの量が増えて来ていること。
イメージを生産する者と消費する者の距離が開いて来ていること。
そして、それに反比例して、イメージの力が弱くなって来ていることだった。
第1章や第2章で展示されている見えないものを意識した作品は、そのイメージを必要とする人が自身で作るか、自分に近いところにいる人にオーダーメイドで必要なものを作ってもらったもののように思われる。
第3章のイメージとたわむれる作品はオーダーメイドとレディメイドが混在しているが、質的にも量的にも需要に合せて供給がなされていたように思われる。
それに対して第4章の国際化した消費社会の作品は、顔が見えない人の需要を推量して勝手に生産されており、ともすれば供給過剰になりかねない感じだ。
現代に於いてイメージの力が弱くなっている理由は、自分が必要性を感じる前に様々なイメージが大量に目の前に提示されるため、見ることに倦み疲れ、自己防衛のために自らの感受性を鈍磨させてしまっていることに起因しているのではないかと思う。

イメージは自分が必要性を感じた時に意味を持ち、力を持つ。
従って、先ずはイメージのノイズを遮断して鈍磨した感受性を癒し、回復させることが大切だ。
十分に感受性が回復したところで、消費的ではなく、創造的にイメージと関わる。
そして、現出したイメージから得られる感じを味わい、意味を考える。
そのとき、イメージは力を持ち、気づきが起こる。
今回の展覧会は私のカウンセリング・プロセスを見直す良い機会であった。
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テーマ : 美術館・博物館 展示めぐり。
ジャンル : 学問・文化・芸術

プロフィール

迷林亭主

Author:迷林亭主
迷林亭主ことカウンセリングルーム・メイウッド室長 服部治夫。
三鷹市の住宅地に佇む隠れ家的なヒーリグ・スペース。
古民家を改装したくつろぎの空間で、アートセラピーや催眠療法などを活用し、カウンセリングやヒーリング、創造性開発の援助に取り組んでいます。

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