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夢と光の司祭 ― 『バルテュス展』

東京都美術館で開催中の『バルテュス展』を観た。

11歳で描いた愛猫ミツの連作画に於ける少年のナイーブな感情表現が心に沁みる。
このナイーブさは終生バルテュスの心の中に在り続けたと思われるが、彼は自画像ではダンディな姿しか描かなかった。
その分、猫を自身の分身として描くことによって、自らの絵画の中で息を吐ける自分の居場所を確保したのではないだろうか。
現実の猫は失った代わりに自由な自己表現の手段を獲得したと言える。

眠りはバルテュスにとってとても大切なものであったように思われる。
「≪山(夏)≫のための習作」の前景に横たわる女性は気持ち良く眠り、大地と一体化している。
「眠る少女」や「≪横たわる女≫のための習作」等で繰り返し描かれる眠る女性の姿は落ち着きと幸福感と充足した時間を感じさせる。
眠りは生きていく上で必要なものだが、バルテュスにとっては、女性の姿を借りて眠りを描くことが、画家として、自身の絵画世界を構築して行く上で必要不可欠なことだったように思われる。

自画像のバルテュスは毅然と覚醒している。
また、「12歳のマリア・ヴォルコンスカ王女」や「ジャクリーヌ・マティスの肖像」で描かれた女性の肖像も誇り高く覚醒している。
それは、バルテュスの持つ強靭な自意識を感じさせる。

覚醒と眠りの中間に在るもの、或いは、覚醒と眠りとを包摂するもの、それは夢だ。
気高い覚醒を支柱とし、大地と一体化した眠りを裾に大きく張られたテントの中で、サーカスのように縦横無尽に飛翔する夢。
バルテュスの描いたものは全て夢だと言える。
そして自身の分身である猫は、新しい夢を紡ぎ出し、私たちを案内するピエロであり、トリックスターであると言えよう。

バルテュスはヨーロッパの陽射しの魅力を余すところなく描いている。
薄ら陽に照らされることによって、物質が単なる物質ではなく、静謐な精神性を持ったものに見えて来る魅力。
フェルメールの絵にも見られるような光の神秘がバルテュスの絵には在る。

「決して来ない時」というのは夢の時間。
大きな窓の外は曇り空。
戸外に向かって後ろ姿を見せる窓辺の少女は胸の前に手を組んで、祈るように何かを待っている。
椅子にもたれかかり、白いガウンを羽織った少女の姿勢は裸木立つ早春の大地を想わせる。
彼女の身体は雪に覆われたように冷たく、硬い。
しかし、その表情は恍惚として、今起こりつつあることに安心して身を委ねている。
そして、猫はこれから起こることを固唾を飲んで見守っている。

「決して来ない時」と平行して描かれた「猫と裸婦」。
窓の外からは暖かい陽光が射し込んでいる。
後ろ姿を見せる窓辺の少女は解き放たれたように胸を拡げ、腕を伸ばしている。
椅子にもたれかかった少女はもはや一糸もまとっていない。
肌の色は赤みを帯び、春の野のように活き活きとしている。
その恍惚とした表情には深い満足感が在る。
猫も今は安心してゴロニャンと寝転がっている。

私はこれら二枚の絵に処女懐胎のモチーフを観た。
キリスト教の聖母の受胎に限らない、霊的・精神的なものと物質的なものとがひとつになる神秘的瞬間が描かれている。
これら二枚の絵を行きつ戻りつしながら身比べられることの出来る幸せ。

バルテュスは言っている。
「絵を描くことは祈りの一つであり、神に行きつく一つの道である」

バルテュスは絵筆を持った司祭である。
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テーマ : 美術館・博物館 展示めぐり。
ジャンル : 学問・文化・芸術

プロフィール

迷林亭主

Author:迷林亭主
迷林亭主ことカウンセリングルーム・メイウッド室長 服部治夫。
三鷹市の住宅地に佇む隠れ家的なヒーリグ・スペース。
古民家を改装したくつろぎの空間で、アートセラピーや催眠療法などを活用し、カウンセリングやヒーリング、創造性開発の援助に取り組んでいます。

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