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束の間のエロス ― 『パスキン展』

パナソニック汐留ミュージアムで開催中の『パスキン展』を観た。

一覧した印象は小暗い森に浮び上がったはかない花。

パスキンは11才でウィーンに出て、多感な思春期をこの街で暮らした。
「すべてはウィーンのおかげだ」と彼は後に振り返っている。
ウィーンはその華やかな外貌の陰に複雑な暗部を抱えており、言い換えれば、生身の人間を街にしたようなところがあり、そこに暮らした者に精神的な影響を与えずには置かないところがある。
精神分析の創始者フロイトの功績もウィーンを抜きにしては語れないだろう。
ヒトラーがウィーン美術アカデミーの受験に失敗した際に見たユダヤ人社会への逆恨みが後のナチスのホロコーストに影響を与えたと言われる。
そして、ナチスに追われたユダヤ人精神分析家たちが英米に移住したことが、現在のカウンセリング心理学の隆盛へとつながって行く。

パスキンを魅了したクリムトの絵には、サロンの壁面に飾り、仲間と共に鑑賞し、この世を楽しみたい華やかさが在る。
一方、エゴン・シーレの絵には、開かずの部屋に置き、泣きたい時に独りで鑑賞し、慟哭したい、と思わせる何かが在る。
そして、パスキンの絵画にはその両方の要素を持ちながらも、どっちつかずで、両者の間を漂っているような風情が在る。

狂乱の時代に描かれた『二人のモデル』や『二人のスイス娘』では、女性の豊満な裸体が現世の楽しさや華やかさをほのめかすが、それ以上に、ぼんやりとしたトーンや背景の暗さがはかなさや虚しさを感じさせる。
『少女―幼い踊り子』の可憐な立ち姿。
少女の横に浮ぶ花かごは深淵からの贈り物。
少女のもの憂げな表情は画家の心を映しているようだ。

素早い素描を得意としたパスキンの筆は、移ろいゆくはかなさの一瞬を見事に画布に留めている。
無常なる移ろいの中の一瞬の美。
それは、もののあはれに似た、日本人好みの感覚。

1903年に描かれた『ミュンヘンの少女』。
その生真面目な表情はパスキンの心の素の部分がふと出た感じがする。
それは、後年の狂乱の時代に入っても時々表出する。
1924年の『幼いユーユー』や1928年の『テーブルのリュシーの肖像』。
心持ち視線を落とした内省的な表情を見ると、この画家がとても好きになる。
モデルに魂の親和性を感じたパスキンが、思わず本音を吐いたように感じられる。

1928年の『ジナとルネ』。
いつしか眠り込んでしまった少女たちを前に画家もすっかり緊張を解いて、筆を走らせている。
とても受容的で、幸福感と安心感が在る。
この展覧会の白眉。
パスキンがこの絵を描けたことは幸いだったと思う。

パスキンは徹底的にエロスを求めた画家だ。
彼が故郷に帰らなかったのは、ユダヤ教のロゴス的世界を嫌ったからだろう。
彼の心の淋しさを癒すのは分離独立を強いるロゴスではなく、他者との融合を図るエロスだった。
『放蕩息子の帰還』する先が娼館であるのも、そのせいだ。
『遊女に罵倒されるソクラテスと弟子たち』は、完全に、ロゴスに対するエロス優位のアレゴリーである。

人生に於ける束の間の幸福だからこそいとおしい。
それが私たちがパスキンの絵画に惹かれる理由なのではないだろうか。
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テーマ : 美術館・博物館 展示めぐり。
ジャンル : 学問・文化・芸術

プロフィール

迷林亭主

Author:迷林亭主
迷林亭主ことカウンセリングルーム・メイウッド室長 服部治夫。
三鷹市の住宅地に佇む隠れ家的なヒーリグ・スペース。
古民家を改装したくつろぎの空間で、アートセラピーや催眠療法などを活用し、カウンセリングやヒーリング、創造性開発の援助に取り組んでいます。

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