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花の命の目撃者 ― 『ボッティチェリ展』

東京都美術館で開催中の『ボッティチェリ展』を観た。

「ラーマ家の東方三博士の礼拝」の画面右端に描かれた自画像。
画中の他の人物群に紛れることなく、一人浮き出ている。
画面の中の出来事に気を取られている人物たちとは一線を画して、じっとこちら側(画面の外の世界)を見詰めている。
画家の透徹した眼。
ボッティチェリは、時代の風潮に飲み込まれず、距離を置いて、時代の目撃者たらんとしているかのようだ。

「書斎の聖アウグスティヌス」は神秘的な真理をロゴス的に究めようと苦闘している哲学者の真摯な姿。
細部まで丁寧に描かれた背景は、アウグスティヌスの明晰で整理された脳内を暗示するかのようだ。
これは理知的にものの本質を見極めようとしたボッティチェリ自身の姿を思わせる。

「聖母子、洗礼者ヨハネ、大天使ミカエルと大天使ガブリエル」で描かれた憂いを含んだ内省的な眼差しの登場人物たち。
時はロレンツォ・デ・メディチの治世の最盛期。
フィレンツェ共和国は安定し、人々は欄塾した文化を楽しんでいた。
けれども、メディチ銀行の経営の内実は巨額の赤字。
ロレンツォは共和国の公金にも手を付けていたらしい。
ボッティチェリがどこまで内情を知っていたか分からないが、彼の感受性は今の繁栄が永続しないことを知っていた。
彼の眼は既に時代の終焉を視ていた。
聖母マリアと大天使ミカエルは不吉な未来を諦めを持って見詰めている。
洗礼者ヨハネと大天使ガブリエルは今という時の記憶をしっかりと心に刻み込むようにていねいに生きようとしている。
これは当時のフィレンツェ市民に共有された時代精神だったのかも知れない。

1480-85年頃描かれた「美しきシモネッタの肖像」。
鮮やかな赤い衣装と金髪は華やかで、季節に譬えれば夏。
フィレンツェ共和国の最盛期。
横を向いた女性の口元には微かな笑みが浮かんでいる。
しかし、眼は笑わず、冷静な眼差しで何かを見詰めている。

1485-90年頃に描かれた「女性の肖像(美しきシモネッタ)」。
茶色の衣装と茶色の髪は秋を思わせる。
ロレンツォの治世の蔭りの反映だろうか。
女性の内省的で意志的でたおやかな佇まいには内面的な美しさが満ちている。
メディチ家の時代のフィレンツェには美を産み出す土壌が有る。

ロレンツォの死後、フィレンツェにフランス軍が入城し、サヴォナローラの神権政治が始まった1494-96年頃描かれた「アペレスの誹謗(ラ・カルンニア)」。
画面右手の玉座に座す「不正」はロレンツォを思わせる。
「不正」を糾弾する「憎悪」と画面左手で黒衣をまとった「悔悟」はサヴォナローラの寓意だろう。
そして、画面中央で手を合わせ、髪を引っ張られた「無実」こそボッティチェリその人だと思われる。
「悔悟」(サヴォナローラ)に促されて「真実」に向かって手を合わせ、祈る「無実」。
しかし、彼の表情は険しく、「真実」から眼を背けている。
「真実」の表情は硬く、虚ろだ。
彼女は美しくないのだ。
あれほど美を尊重したボッティチェリが「真実」を美しく描かなかったのは、心底「真実」に帰依していなかったからに違いない。
むしろ「誹謗」「欺瞞」「嫉妬」という名を与えられた三人の女性の方がはるかに優美だ。
ボッティチェリは、サヴォナローラの主張に理解を示しながらも、心の底では退廃した過去の時代に文字通り「後ろ髪引かれて」いたのだ。

サヴォナローラが神権政治を開始した当時、50才を迎えたボッティチェリにはフィレンツェを捨てて他に新天地を求めるという選択は難しく、サヴォナローラに従わざるを得なかったのだろう。
元々得意としていた聖母子像等の宗教的題材の絵を描き続けることは出来る。
しかし「虚栄の焼却」を断行し、美を弾圧したサヴォナローラの時代は画家にとって緊張を強いられる時代だったことだろう。
この時代の作品を観ると中世絵画的な硬さが有り、心の蓋が閉ざされたようで、伸びやかさが感じられない。

本展には出品されていないが、ボッティチェリの最後の作品と言われる「神秘の降誕」の画面上部に記載された謎の文章 ―
「私サンドロは、ヨハネの黙示録第11章の予言にあるように、ひとつの時代とその半分の時代の後のイタリア受難の時代、悪魔が3年半野放しになるという、黙示録第2の災いの最中、1500年の終末に、この絵を制作した。そして、第12章にあるように、悪魔は鎖につながれ、地に落とされ、この絵にあるように、・・・・を見ることになるであろう」
― の中の「3年半」というのは、サヴォナローラに抑え付けられていた時代のことを指すのではないか、と思えてならない。

私たちがボッティチェリの絵画を観て、その画面に漂うそこはかとない憂いに心惹かれる理由。
それは滅びを内包した美(もののあはれ)に共感する日本人の無常感なのだと思う。
特に、来るべき自然災害や財政破綻を予感しながら、ささやかな幸せと平穏を大切に今という時代を生きているからこそ、一層強くボッティチェリに魅力を感じるのだろう。
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テーマ : 美術館・博物館 展示めぐり。
ジャンル : 学問・文化・芸術

プロフィール

迷林亭主

Author:迷林亭主
迷林亭主ことカウンセリングルーム・メイウッド室長 服部治夫。
三鷹市の住宅地に佇む隠れ家的なヒーリグ・スペース。
古民家を改装したくつろぎの空間で、アートセラピーや催眠療法などを活用し、カウンセリングやヒーリング、創造性開発の援助に取り組んでいます。

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