泡と結縁の海 ― 『杉本博司 ロスト・ヒューマン』
東京都写真美術館が2年ぶりにリニューアルオープンした。
総合開館20周年/リニューアルオープン記念で開催中の『杉本博司 ロスト・ヒューマン』展を観た。
展覧会は、インスタレーション〈今日 世界は死んだ もしかすると昨日かもしれない〉、写真作品の〈廃墟劇場〉及び〈仏の海〉の3シリーズから構成された規模の大きいものだが、私は本展の通奏低音を成している「海」に深い印象を受けた。
会場で流されているビデオの中で、杉本博司は、自分にとって生まれて以来の最初の記憶は海を見たことだ、と語っている。
そして、彼は「人類が最初に見た風景は海ではなかっただろうか」との仮説を立て、〈海景〉シリーズの写真を撮り始めた。
水平線が大きな画面を二等分し、下半分に海、上半分に空が写っているだけのモノクロの写真。
ふたつの部分は溶け合わずに画然と分かれている。
けれども対立してはいない。
補完し合ってひとつの世界を構成している。
撮影される海によって表情は異なるが、それでもその違いを超えた共通する本質を感じさせる。
全ての生命の源。
あらゆる生と死を包摂した原初の風景。
会場3階のインスタレーション〈今日 世界は死んだ もしかすると昨日かもしれない〉の入口にはガリラヤ海、出口にはカリブ海と、2つの〈海景〉シリーズの作品が結界を張っている。
会場の中に入ると多彩な展示に圧倒される。
理想主義者、政治家、古生物研究者、遺伝子学者、ロボット工学者等々、33人の様々な職業・立場の人たちが肉筆で書き残した遺書と関連する遺物たる骨董品の数々。
次々に立ち現れるインスタレーションを観ていると、そのひとつひとつが深刻であると同時に滑稽であるような、不思議な感覚に満たされる。
インスタレーションを構成している世界の終焉の様々な遺物や言葉は、〈海景〉のように引いた視点で見れば、ただの海の泡にしか過ぎないのかも知れない。
そして、私たちが現実の人生で経験する様々な出来事も海の泡のように小さなものと思えて来る。
写真作品を展示した2階の会場にも〈海景〉が在る。
出入口から一番離れた奥に置かれた「海景五輪塔」の水輪の中にバルト海の水平線が封じ込められている。
世界初公開の写真作品〈廃墟劇場〉シリーズ。
欧米の廃墟となった映画館にスクリーンを張り、そこに映画一本を映写し、その映画一本分の光量で長時間露光したモノクロ写真。
それぞれの映画館で上映された映画は異なるが、終映後に残されたスクリーンは全く同じように真っ白に抜けている。
私たちが生きている間に見る夢はそれぞれ違うが、結局同じところに還って行くことを思わせる。
また、バンドラーの恐怖症治療モデルのホワイトアウトした映画スクリーンをも連想させる。
荒れ果てた映画館の写真を観ていると、安置されていた仏像がいなくなった後の本堂のようにも見えて来る。
白いスクリーンは、いなくなった仏像が残した後光の集積のようだ。
そして、お堂から抜け出た仏像たちがこれなのではないか、と思わせるのが〈仏の海〉シリーズの写真作品。
三十三間堂の千手観音を早朝の光だけで撮影したもの。
満ち満ちた存在感。
〈廃墟劇場〉と〈仏の海〉は陰と陽の関係で、補完し合ってひとつの世界を構成している。
これは正に〈海景〉の世界を別の表現方法で表したもののように見える。
〈廃墟劇場〉で上映中の映画は〈仏の海〉。
私たちの人生は仏の海の中を泳いでいるようなもの。
とすれば、実人生の中で必ずや、結縁すべき仏に出会えるはずだ。
総合開館20周年/リニューアルオープン記念で開催中の『杉本博司 ロスト・ヒューマン』展を観た。
展覧会は、インスタレーション〈今日 世界は死んだ もしかすると昨日かもしれない〉、写真作品の〈廃墟劇場〉及び〈仏の海〉の3シリーズから構成された規模の大きいものだが、私は本展の通奏低音を成している「海」に深い印象を受けた。
会場で流されているビデオの中で、杉本博司は、自分にとって生まれて以来の最初の記憶は海を見たことだ、と語っている。
そして、彼は「人類が最初に見た風景は海ではなかっただろうか」との仮説を立て、〈海景〉シリーズの写真を撮り始めた。
水平線が大きな画面を二等分し、下半分に海、上半分に空が写っているだけのモノクロの写真。
ふたつの部分は溶け合わずに画然と分かれている。
けれども対立してはいない。
補完し合ってひとつの世界を構成している。
撮影される海によって表情は異なるが、それでもその違いを超えた共通する本質を感じさせる。
全ての生命の源。
あらゆる生と死を包摂した原初の風景。
会場3階のインスタレーション〈今日 世界は死んだ もしかすると昨日かもしれない〉の入口にはガリラヤ海、出口にはカリブ海と、2つの〈海景〉シリーズの作品が結界を張っている。
会場の中に入ると多彩な展示に圧倒される。
理想主義者、政治家、古生物研究者、遺伝子学者、ロボット工学者等々、33人の様々な職業・立場の人たちが肉筆で書き残した遺書と関連する遺物たる骨董品の数々。
次々に立ち現れるインスタレーションを観ていると、そのひとつひとつが深刻であると同時に滑稽であるような、不思議な感覚に満たされる。
インスタレーションを構成している世界の終焉の様々な遺物や言葉は、〈海景〉のように引いた視点で見れば、ただの海の泡にしか過ぎないのかも知れない。
そして、私たちが現実の人生で経験する様々な出来事も海の泡のように小さなものと思えて来る。
写真作品を展示した2階の会場にも〈海景〉が在る。
出入口から一番離れた奥に置かれた「海景五輪塔」の水輪の中にバルト海の水平線が封じ込められている。
世界初公開の写真作品〈廃墟劇場〉シリーズ。
欧米の廃墟となった映画館にスクリーンを張り、そこに映画一本を映写し、その映画一本分の光量で長時間露光したモノクロ写真。
それぞれの映画館で上映された映画は異なるが、終映後に残されたスクリーンは全く同じように真っ白に抜けている。
私たちが生きている間に見る夢はそれぞれ違うが、結局同じところに還って行くことを思わせる。
また、バンドラーの恐怖症治療モデルのホワイトアウトした映画スクリーンをも連想させる。
荒れ果てた映画館の写真を観ていると、安置されていた仏像がいなくなった後の本堂のようにも見えて来る。
白いスクリーンは、いなくなった仏像が残した後光の集積のようだ。
そして、お堂から抜け出た仏像たちがこれなのではないか、と思わせるのが〈仏の海〉シリーズの写真作品。
三十三間堂の千手観音を早朝の光だけで撮影したもの。
満ち満ちた存在感。
〈廃墟劇場〉と〈仏の海〉は陰と陽の関係で、補完し合ってひとつの世界を構成している。
これは正に〈海景〉の世界を別の表現方法で表したもののように見える。
〈廃墟劇場〉で上映中の映画は〈仏の海〉。
私たちの人生は仏の海の中を泳いでいるようなもの。
とすれば、実人生の中で必ずや、結縁すべき仏に出会えるはずだ。
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テーマ : 美術館・博物館 展示めぐり。
ジャンル : 学問・文化・芸術