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死と再生の遊び ― 『ゴードン・マッタ=クラーク展』

国立近代美術館で開催中の『ゴードン・マッタ=クラーク展』を観た。

デュシャンの影響なのだろうか、マッタ=クラークの提示の仕方は様々な観方、考え方を許容するので、どのように感じ、考えるか、観る者にとっての鏡のようなところが有る。
今回は私が強く印象を得た側面に留めて書いてみたい。

会場に入ると建物の断面の立体模型や建物内部の写真が展示されている。
Gordon1.jpg
一瞬、これは建築家の展覧会なのか、と思う。
しかし、マッタ=クラークのした仕事は建設ではなく、建築物を切り裂き、破壊すること。
だが、このような展示を観てみると、建設にも破壊にも、今までに無いものを創造する、という共通項が有ることに気付く。

建築は私たちの肉体の周囲にそれまで存在しなかった住空間を創り出す。
人工的な凝縮された住空間の中で、人間はそれまで自然空間の中では得られなかった濃密な活動の場を獲得し、生産性を高める。
それは建物という境界が創り出した活動的空間だが、その境界は同時に自然と人間との間に在ったゆるやかな秩序を分断する。
だが、ふだん私たちはそのことに気付かない。

マッタ=クラークは独りで黙々と廃屋を切り裂く作業を続ける。
Gordon2.jpg
縦にスプリットされた壁面の隙間が拡がると、戸外の木々の緑が、空の青さが見える。
光がこぼれるように屋内に注ぎ込まれて来る。
屋内にいる人間と屋外の自然との間に、ゆるやかなつながりが細く、徐々に、そして確かに出来始める。
建物の中に新しい光が入り、屋内は別の空間へと生まれ変わっていく。

マッタ=クラークは木を建築の原型とみなしており、樹木は原始的な住居だった。
きっと幼少時にツリーハウスで遊んだ原体験が有るのだろう。
樹木の住居には境界が無く、エネルギーが満ち溢れている。
彼が試みたスプリッティングは、廃屋をツリーハウスのようにエネルギーに満ちた空間に変容する試みだったのかも知れない。

マッタ=クラークはフードにも強い関心を持っていた。
生命が人間にもたらされ、料理によって質が変わり、消化されていくプロセス。
生と死の交錯。
生命の循環、リサイクル。

Gordon3.jpg
環境における循環やリサイクルに関心の有ったマッタ=クラークは、都市空間の中で使われなくなった空間やゴミに注目し、それらを循環させたり、変容させたりすることを試みる。
しかし、フードのような有機物と異なり、都市で不要となった無機物は新しい生命を得ることが出来ないことが可視化される。

フィルム『フレッシュキル』で、つぶされていく廃車を見ていると、再生されない無機物の生の在り方の真実が見える。
死に、朽ち果てていくプロセスに眼をそむけてはならない。
あらゆるプロセスを最後まで見届けることに妙が有る。
挽歌を歌うかのようにカモメが飛んでいる。

現在、深海でプラスチック。ゴミが見付かったことが問題になり、スタバで再生可能な容器を使うようにする等の動きが出て来ているが、そうした未来をマッタ=クラークは見越していたに違いない。

マッタ=クラークが提示している問題は深くて手強いが、彼自身は実に軽やかに、エネルギッシュに、自分の活動を楽しんでいる。
都市空間の中でもツリーハウスで遊ぶかのように天真爛漫に生きることが出来る。
それは私にとって心強いヒントだった。
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テーマ : 美術館・博物館 展示めぐり。
ジャンル : 学問・文化・芸術

プロフィール

迷林亭主

Author:迷林亭主
迷林亭主ことカウンセリングルーム・メイウッド室長 服部治夫。
三鷹市の住宅地に佇む隠れ家的なヒーリグ・スペース。
古民家を改装したくつろぎの空間で、アートセラピーや催眠療法などを活用し、カウンセリングやヒーリング、創造性開発の援助に取り組んでいます。

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