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諦念の自画像 - 『フォリー=ベルジェールのバー』

東京都美術館で開催中の『コートールド美術館展』を観た。

セザンヌ

ポール・セザンヌの『ノルマンディーの農場、夏(アンタンヴィル)』。
すごく心落ち着く風景。
観ているとスーッと画面に引き込まれていくようだ。
しかし、描かれているひとつひとつの要素を良く見てみると写生的に描かれたものではない。
画家は自然観察した要素を原子レベルにまで微分し、再び自らの秩序に沿って積分している。
そこには自然の景観が持つ本質がありのままにあらわになって来る。
セザンヌは自然を「理性の眼」で観ている。

モネ

クロード・モネの『アンティーブ』。
青白く輝くさざ波を観ていると幸せな気持ちになって来る。
モネの描く自然は歌い、笑い、人生を肯定する力に満ちている。
画家は自然の語る物語に耳を傾けているかのようだ。
モネは自然を「感情の眼」で観ている。

マネ

エドゥアール・マネの『アルジャントゥイユのセーヌ河岸』。
岸辺の人物、水上のヨット。
絵の構図が素晴らしい。
だが、私の眼はそれらの形象よりも水面に湛えられた深い碧色に惹き付けられる。
それは深い精神性を感じさせる。
形を描くことが出来ないものを描こうとする試み。
マネは自然の「霊性の眼」で観ている。

ベルジェール

そのマネの最晩年の傑作、『フォリー=ベルジェールのバー』。
何よりも正面を向いた女性の表情に眼を奪われる。
その眼はこちらを見ているようだが、焦点は合っていない。
彼女は独りでもの想いにふけっている。
鏡に映った彼女の後姿は男性に接客しているが、これは現在ではなく、過去の出来事だろう。
鏡の手前の実像は現在だが、、鏡に映った像は過去、というか、彼女のもの想いの中のイメージが映し出されているかのようだ。

鏡の中の喧騒な世界はこの世の縮図のようで、どうでも良いことに浮かれ、騒いでいる。
それは正に狂気(Folies)だ。
それに対して、鏡の前に立つ女性の眼はとても醒めている。
彼女は迷える子羊たちを導く羊飼い(Bergère)を象徴しているのだろうか。
それにしては彼女の表情は疲れてうんざりしているように見える。
明らかにこの世の喧騒な世界から距離を置いている。

身体の苦痛に苛まれた晩年のマネの精神はいよいよ冴えわたり、全てのものが顕かに、また諦念を持って見えていたのだろう。
見るべきほどのことは見つ。
この醒めた眼差しの女性はマネ自身の自画像と言えるのではないだろうか。
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テーマ : 美術館・博物館 展示めぐり。
ジャンル : 学問・文化・芸術

プロフィール

迷林亭主

Author:迷林亭主
迷林亭主ことカウンセリングルーム・メイウッド室長 服部治夫。
三鷹市の住宅地に佇む隠れ家的なヒーリグ・スペース。
古民家を改装したくつろぎの空間で、アートセラピーや催眠療法などを活用し、カウンセリングやヒーリング、創造性開発の援助に取り組んでいます。

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