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幽玄について

万葉集に山部赤人の代表歌である

田子の浦ゆうち出でてみれば真白にそ富士の高嶺に雪は降りける

がある。
雪を頂いた富士の山頂がくっきりと見えるような、絵画的な表現である。

一方、藤原定家は同じ歌を新古今集に収録する際に、下記のように改作した。

田子の浦にうち出でてみれば白妙の富士の高嶺に雪は降りつつ

この歌の場合には、海岸から遠望する富士は雲に覆われている。
しかし、雲の中ではきっと白い雪が降っている最中なのだろう。
つまり、定家は、実際には見えない想像の風景を描写している。

新古今集の中に、定家自身の作で、三夕の歌のひとつとして有名な次の歌がある。

見わたせば花も紅葉もなかりけり浦の苫屋の秋の夕暮れ

「花も紅葉も」まで吟じたところで、私達の心の中に一瞬「花」や「紅葉」のイメージが想い浮かぶ。そして、直後の「なかりけり」で打ち消される。しかし、「花」「紅葉」の残像は私達の心の中にそのまま残る。イメージは一旦潜在意識に入り込むと論理的な否定の言葉では払拭されないのだ。
そして、一番上に塗り重ねられた「浦の苫屋の秋の夕暮れ」という殺風景なイメージの裏で確かな輝きを発し、眼前に見える変哲もない地味な風景を、魅力を秘めた豊かなものに変貌させる。

肉眼ではつまらない風景しか見えないが、想像力を駆使して心を澄ませれば、その奥には素晴らしい「あはれ」の世界が見える。
美は隠されている。
故に、覆っている外側にもまた絶妙な趣きがある。
こうした知的で洗練された美意識がおそらく「幽玄」という言葉の意味するところなのだろう。

私が好きな山部赤人/藤原定家の共作を紹介したい。
万葉集の原歌は

この夕べ降り来る雨は彦星の早漕ぐ舟の櫂の散りかも

七夕の雨を詠んだ歌である。
ロマンチックな想像のシーンを描いている。
定家はこの歌に我が意を得たりと共感したようで、原歌の趣向を変えずに微細な改変に留めて、新古今集に収録している。

この夕べ降りくる雨は彦星のと渡るふねのかいのしづくか

言葉の響き、歌の調べがより洗練されて美しくなっている。
この歌も、隠された美を想像(創造)することで、表層的な世界を趣きのあるものに変容させている幽玄な作品である。

2010年4月5日のブログ「花は盛りに」の中で、「もののあはれ」についての私の解釈を紹介したが、それは表面に現れた一瞬の美の裏に隠された長い地味なプロセス(事実)を想う物語性を秘めた美意識だった。
一方、「幽玄」は表面に見えているつまらない情景の裏に隠された虚構の美を想う美意識で、これも物語性を秘めている。
日本的な美意識には物語性があり、それを味わうには私達の想像力を要求するようだ。

物語を味わい、物語は尽きる。
けれども、余韻は残る。

春の夜の夢の浮橋と絶えして峰にわかるる横雲の空

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テーマ : モノの見方、考え方。
ジャンル : 心と身体

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プロフィール

迷林亭主

Author:迷林亭主
迷林亭主ことカウンセリングルーム・メイウッド室長 服部治夫。
三鷹市の住宅地に佇む隠れ家的なヒーリグ・スペース。
古民家を改装したくつろぎの空間で、アートセラピーや催眠療法などを活用し、カウンセリングやヒーリング、創造性開発の援助に取り組んでいます。

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