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華麗なるセミの書 ― 『ジャクソン・ポロック展』

東京国立近美術館で開催中の『生誕100年 ジャクソン・ポロック展』を観た。

会場に入るとポロックの自画像や『女』を始めとした数々の絵から黒、赤、茶色が眼に飛び込んで来る。
それは土の色。
彼の絵は、土の中にその生命の端を発している。

土の中から地表に出て、先住民族の芸術等からの影響を受けながら、様々なものを描いて来た画家は、ポーリングによって地表から自由になり、1943年の『ポーリングのある構成Ⅱ』では宇宙を想わせるような絵を描くようになる。

1947年から1950年までの4年間、ポロックは地表から飛び上がり、自在に舞いながらオールオーヴァーのボード絵画を創作した。
『Number 25, 1950』、『インディアンレッドの地の壁画』、『Number 7, 1950』と言った1950年に描かれた諸作品が素晴らしい。
赤茶色の色彩が土の匂いを感じさせ、自由に踊りまくる線が生命のダンスを感じさせる。
それは桜の花に似ている。
離れて観れば、只々その美しさに感嘆するが、近づいて観れば、ひとつひとつの細部の激しい生命力にむせかえる。

最盛期のボード絵画の世界は書の世界に近い。
「書」は「文字」と「模様」の中間に在る。
「文字」は言葉を視覚的に記号化したもので意味を持っている。
「模様」は心に生じた波動を形で表そうとする試みである。
「文字」の持つ意味の奥の深みに入り、それを感覚・感情で捉え、表現しようとする時、それは単なる「文字」ではなく、「書」に変わる。
一方、自分の心に忠実になり、そこに生じた波動が増幅されて来ると、それは固有の感覚・感情を持ち、「模様」でありながら「書」の趣きを持ったものに変容する。
それは何かの意味を内包したもののように見え、想像力を刺激する。

「絵の中にいる時、私は自分が何をしているのか気づいていない。一種の馴染む時期を経て初めて、自分がしてきたことを理解する。」

「書」と言うのは視覚の世界に於ける「歌」である。
感情を込めて言葉を発していると、それは「歌」になって行く。
一方、器楽演奏に感情が深く込められて来ると、それが「歌」になって行くのに似ている。

何故、ポロックが1950年からモノクロの絵を描き始め、その後、ブラック・ポーリングの世界に入って行くのかは、彼が「書」に目覚めたから、と考えると分かり易い。
彼は自覚的に「書」を描くことに自分の活路を見出したに違いない。
けれども、彼の転向は衰退を想わせずにはいられない。
大地から浮き上がって舞い続けるためにはバッテリーが充電切れになってしまったように思われる。
再充電のために再び大地に降り立つ必要があったのだろう。

地中に生まれ、育ち、空中に舞い、再び地中に還って行く。
ポロックの画家としての軌跡はセミの一生を想わせる。
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テーマ : 美術館・博物館 展示めぐり。
ジャンル : 学問・文化・芸術

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プロフィール

迷林亭主

Author:迷林亭主
迷林亭主ことカウンセリングルーム・メイウッド室長 服部治夫。
三鷹市の住宅地に佇む隠れ家的なヒーリグ・スペース。
古民家を改装したくつろぎの空間で、アートセラピーや催眠療法などを活用し、カウンセリングやヒーリング、創造性開発の援助に取り組んでいます。

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