勇敢な迷いの旅路 ― 『ジョルジョ・デ・キリコ 変遷と回帰』
パナソニック汐留ミュージアムで開催中の『ジョルジョ・デ・キリコ 変遷と回帰』展を観た。
一覧した印象は笑顔の無い画家。
強い闘争心を内に秘め、くっきりした線と濃密な色彩から高いテンションが伝わって来る。
しかし、画家は自分の感情を晒すことを嫌い、内面を見せないようにデペイズマンという謎を仕掛ける。
絵を鑑賞する私たちはつい、その謎に捉われてしまう。
攻撃は最大の防御なり。
私たちはすっかりキリコの術中にはまっているのだ。
1922-25年頃に描かれた『自画像』。
絵の前に立つ者を睥睨するふてぶてしい表情。
内面の感情を押し隠すように、画面全体がグレーで覆われている。
その不穏な色調には不安が見え隠れする。
キリコが好んで描いた仮面やマネキンの顔は、内面の感情を晒さずに済むように人間の表情を描かないための工夫だろう。
一方、同じく好んで描いた剣闘士の姿からは彼の闘争心がうかがえる。
古典主義への回帰は、形而上の世界をより豊かに表現するために、形而下の世界をしっかり描く必要を感じたからだろう。
他人の思惑に左右されることなく、思い切った転進が出来ることがキリコの強みだ。
模索の時期、2頭の馬を描いた作品が多く現れる。
馬は自由で生命力あふれる動物だが、同時に警戒心が強く臆病な動物で、そのアンビバレンスは正にキリコ自身を思わせる。
古典主義やネオバロックの時代の迷いや葛藤がうかがえる。
結局、形而上絵画に戻ったキリコの作品からは、初期の絵画に感じられた緊張感が大分和らいでいる。
『慰めのアンティゴネ』のガックリ感や、『マラトンの戦士たち』の徒労感のように、正直な感情が画面に表れて来る。
そして、『ユピテルの手と9人のミューズたち』に描かれた9人のミューズたちを上から掴もうとするユピテルの手のように、あらゆる芸術表現を掌握・支配しようとする画家自身の野望をもはや隠そうとしない。
『燃えつきた太陽のあるイタリア広場、神秘的な広場』で描かれた太陽からチューブでつながった地上の黒い太陽。
太陽がかつてのエネルギーを失い、もはや地上に届かないことを画家は認めている。
『城への帰還』で、三日月の夜、城に帰還する黒いギザギザの影の騎士。
その姿は幽霊のようにも見えるが、穏やかさが感じられる。
『オデュッセウスの帰還』に描かれた、波荒い水溜りを小舟に乗って帰還するオデュッセウス。
小舟を必死に漕いでいる本人にとっては荒波だが、メタ認知的には水溜りでしかない。
キリコのそれまでの画業遍歴のメタファーだろうか。
オデュッセウスの表情には、疲労感と諦めと満足感が綯い交ぜになっているようだ。
『神秘的な動物の頭部』に描かれた馬は画家自身の分身。
その身体には、かつて画家が扱ったイメージが目一杯封じ込められている。
馬の悲しい眼。
それは、初期の『謎めいた憂愁』のオデュッセウスを思わせる男の表情に通じている。
『黒い宝』はオデュッセウスが持ち帰った土産の金塊だろうか。
予期していた金色とは異なるが、宝には違いない。
人生で戦い抜いた末に得られたものが当初予想したものとは限らない。
むしろ、予想と違うことの方が多いことだろう。
しかし、結果として得られたものに価値が感じられる時、人生は満足なものとなる。
77年のインタビューでキリコは自分自身については語らないが、「幸せか」と問われて「幸せだ」と答えた画家の表情には、やるだけのことはやった、という満足感が垣間見えた。
一覧した印象は笑顔の無い画家。
強い闘争心を内に秘め、くっきりした線と濃密な色彩から高いテンションが伝わって来る。
しかし、画家は自分の感情を晒すことを嫌い、内面を見せないようにデペイズマンという謎を仕掛ける。
絵を鑑賞する私たちはつい、その謎に捉われてしまう。
攻撃は最大の防御なり。
私たちはすっかりキリコの術中にはまっているのだ。
1922-25年頃に描かれた『自画像』。
絵の前に立つ者を睥睨するふてぶてしい表情。
内面の感情を押し隠すように、画面全体がグレーで覆われている。
その不穏な色調には不安が見え隠れする。
キリコが好んで描いた仮面やマネキンの顔は、内面の感情を晒さずに済むように人間の表情を描かないための工夫だろう。
一方、同じく好んで描いた剣闘士の姿からは彼の闘争心がうかがえる。
古典主義への回帰は、形而上の世界をより豊かに表現するために、形而下の世界をしっかり描く必要を感じたからだろう。
他人の思惑に左右されることなく、思い切った転進が出来ることがキリコの強みだ。
模索の時期、2頭の馬を描いた作品が多く現れる。
馬は自由で生命力あふれる動物だが、同時に警戒心が強く臆病な動物で、そのアンビバレンスは正にキリコ自身を思わせる。
古典主義やネオバロックの時代の迷いや葛藤がうかがえる。
結局、形而上絵画に戻ったキリコの作品からは、初期の絵画に感じられた緊張感が大分和らいでいる。
『慰めのアンティゴネ』のガックリ感や、『マラトンの戦士たち』の徒労感のように、正直な感情が画面に表れて来る。
そして、『ユピテルの手と9人のミューズたち』に描かれた9人のミューズたちを上から掴もうとするユピテルの手のように、あらゆる芸術表現を掌握・支配しようとする画家自身の野望をもはや隠そうとしない。
『燃えつきた太陽のあるイタリア広場、神秘的な広場』で描かれた太陽からチューブでつながった地上の黒い太陽。
太陽がかつてのエネルギーを失い、もはや地上に届かないことを画家は認めている。
『城への帰還』で、三日月の夜、城に帰還する黒いギザギザの影の騎士。
その姿は幽霊のようにも見えるが、穏やかさが感じられる。
『オデュッセウスの帰還』に描かれた、波荒い水溜りを小舟に乗って帰還するオデュッセウス。
小舟を必死に漕いでいる本人にとっては荒波だが、メタ認知的には水溜りでしかない。
キリコのそれまでの画業遍歴のメタファーだろうか。
オデュッセウスの表情には、疲労感と諦めと満足感が綯い交ぜになっているようだ。
『神秘的な動物の頭部』に描かれた馬は画家自身の分身。
その身体には、かつて画家が扱ったイメージが目一杯封じ込められている。
馬の悲しい眼。
それは、初期の『謎めいた憂愁』のオデュッセウスを思わせる男の表情に通じている。
『黒い宝』はオデュッセウスが持ち帰った土産の金塊だろうか。
予期していた金色とは異なるが、宝には違いない。
人生で戦い抜いた末に得られたものが当初予想したものとは限らない。
むしろ、予想と違うことの方が多いことだろう。
しかし、結果として得られたものに価値が感じられる時、人生は満足なものとなる。
77年のインタビューでキリコは自分自身については語らないが、「幸せか」と問われて「幸せだ」と答えた画家の表情には、やるだけのことはやった、という満足感が垣間見えた。
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テーマ : 美術館・博物館 展示めぐり。
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