静かな勇気 ― 『ヘレン・シャルフベック 魂のまなざし』
東京藝術大学大学美術館で開催中の『ヘレン・シャルフベック 魂のまなざし』展を観た。
最初に視界に入る『静物』に惹き付けられる。
1877年、シャルフベックが15才の頃描いた作品。
床に置かれた頭蓋骨の凹んだ眼窩は遥かなものを見詰めているようだ。
それは、自由に動けない身で、視ることによって世界を切り拓いていこうとする意志的なまなざしを感じさせる。
床に敷かれた布の赤と背景の黒。
生死を暗示するこれらの色調は彼女の生涯に亘って表れる運命の色。
この『静物』は彼女の最初の精神的自画像と言える。
初期の作品に描かれた人物はすべて何かをじっと見詰めている。
それは、すぐそこに無い、遠くのもの、或いは、自分の内面に在るもの。
そのまなざしを、裏側から、視る者の主観的位置から表現したのが、1884年の『扉』。
明るい外光を遮断する扉。
外の刺激を遮って閉じこもることで、内側の世界のニュアンスが豊かに感じられる。
『快復期』は自分の弱さや柔らかな子どもの心を初めてさらけ出した内面的な自画像。
病み上がりの柔らかい感受性は、外光の優しさや、若枝の芽吹きの生命力を沁みるように感じる。
シャルフベックはありのままの自分を受容し、信じている。
その姿には観る者の心を解き、ほっとさせるものが有る。
『ラーセボリの風景(真夏の夜)』に描かれた自然。
森と草原と水。
薄ら明かりの下の落ち着いた緑。
シャルフベックの絵の重要な要素となる原型的風景。
還って行くところ。
同時期に描かれた『堅信式の前』の読書する白衣の少女は、還るべき自然という神の庭に居て、穏やかに心満たされている。
一方、18年後に描かれた『マリア』では、暗緑色の背景は判然とせず、何があるか分からないが、読書する白衣の女性の輪郭はぼんやりと背景に溶け、運命を受容する静かな心を感じさせる。
今回の展覧会に数多く展示されている自画像を観て気付いたのは、共通して、下アゴを前に突き出した意志的なポーズを取っていることだ。
それがシャルフベックの人生に対する基本姿勢なのだろう。
その中でもそれぞれの自画像には個性が有る。
1884-85年の『自画像』では、左側の眼に沈んだ表情、右側の眼に意志的な表情、と複雑な心情が描かれ、イギリス人画家の婚約破棄の影響が反映しているようだ。
1895年の『自画像』では唇にも頬にも赤みが無く、素描学校の教師時代の生真面目な生活が偲ばれる。
フィンランド芸術協会の依頼で1915年に制作された『黒い背景の自画像』。
赤く生き生きとした唇、赤い頬。
焦点の合わないもの想うまなざし。
背景に描かれた壺の赤い色。
これらはエイナル・ロイターへの恋心の反映だろうか。
焦点深度が浅く、顔しかはっきりと描かれていない。
今、この瞬間しか見えていない。
将来の展望が効かない不安感。
そして、ぼんやりと描かれた首から下は、自分の土台がしっかりと地に付いていない不安定感を表しているようだ。
それでも、下アゴのラインは我が道を進もうとする彼女の意志の強さを表している。
この自画像では、シャルフベックが自分の強さ、弱さを正直に描き出している。
1921年の『未完成の自画像(裏)』。
暗く不透明な灰緑色で塗り覆われ、パレットナイフで傷付けられた顔。
赤黒い唇が痛々しい。
しかし、シャルフベックは絵を破棄せずに残し、裏面に別の絵を描く。
『働きに行く工女たち(表)』。
諦めと悲しみの中でもの想いに沈む右の女性。
頭蓋骨の眼窩のような眼で絶望の淵を見据えながら、赤い唇に生きる意志を見せる左の女性。
苦悩を抱えながらも生きて行こうとする決意。
自らの複雑な心の中を描くのに二人の女性を登場させているが、この絵こそシャルフベックの自画像の完成形と思われる。
1922年に描かれた『ドーラ(ドーラ・エストランデル』。
暗い赤と黒が織り成す内省的な肖像画。
顔が半ば闇に溶け、モデルの外貌から余計なものが除かれ、エッセンスだけが覗いている。
シャルフベックの語る芸術観をよく聴いてくれたドーラは、彼女にとって鏡のような存在だった。
この絵はシャルフベックの内面の自画像と言える。
1930年代以降に描かれた晩年の自画像。
すべて『黒い背景の自画像』と同じアングルで描かれている。
定点観測で自身の生を見詰めている。
死に向かっている自分。
それは自然に還って行くこと。
1945年の『自画像、光と影』は緑一色で描かれ、自身と自然とが渾然と一体化している。
1944年の『黒いりんごのある静物』。
赤いりんご(生)と黒いりんご(死)が仲良く並存し、それぞれのりんごから流れた緑の血が周りの緑に溶けて行く。
生も死もありのままでの自然への回帰。
この絵は、1877年の『静物』と対をなす最後の精神的な自画像である。
幼時の負傷による身体的不自由。
実らなかった恋愛。
世間的な幸福から遠かったシャルフベックは却ってより深く人生を生きることが出来た。
彼女が描く一枚一枚の絵から私は人生に真摯に向き合う静かな勇気をもらえた。
この展覧会を訪れて良かった、と心から思う。
最初に視界に入る『静物』に惹き付けられる。
1877年、シャルフベックが15才の頃描いた作品。
床に置かれた頭蓋骨の凹んだ眼窩は遥かなものを見詰めているようだ。
それは、自由に動けない身で、視ることによって世界を切り拓いていこうとする意志的なまなざしを感じさせる。
床に敷かれた布の赤と背景の黒。
生死を暗示するこれらの色調は彼女の生涯に亘って表れる運命の色。
この『静物』は彼女の最初の精神的自画像と言える。
初期の作品に描かれた人物はすべて何かをじっと見詰めている。
それは、すぐそこに無い、遠くのもの、或いは、自分の内面に在るもの。
そのまなざしを、裏側から、視る者の主観的位置から表現したのが、1884年の『扉』。
明るい外光を遮断する扉。
外の刺激を遮って閉じこもることで、内側の世界のニュアンスが豊かに感じられる。
『快復期』は自分の弱さや柔らかな子どもの心を初めてさらけ出した内面的な自画像。
病み上がりの柔らかい感受性は、外光の優しさや、若枝の芽吹きの生命力を沁みるように感じる。
シャルフベックはありのままの自分を受容し、信じている。
その姿には観る者の心を解き、ほっとさせるものが有る。
『ラーセボリの風景(真夏の夜)』に描かれた自然。
森と草原と水。
薄ら明かりの下の落ち着いた緑。
シャルフベックの絵の重要な要素となる原型的風景。
還って行くところ。
同時期に描かれた『堅信式の前』の読書する白衣の少女は、還るべき自然という神の庭に居て、穏やかに心満たされている。
一方、18年後に描かれた『マリア』では、暗緑色の背景は判然とせず、何があるか分からないが、読書する白衣の女性の輪郭はぼんやりと背景に溶け、運命を受容する静かな心を感じさせる。
今回の展覧会に数多く展示されている自画像を観て気付いたのは、共通して、下アゴを前に突き出した意志的なポーズを取っていることだ。
それがシャルフベックの人生に対する基本姿勢なのだろう。
その中でもそれぞれの自画像には個性が有る。
1884-85年の『自画像』では、左側の眼に沈んだ表情、右側の眼に意志的な表情、と複雑な心情が描かれ、イギリス人画家の婚約破棄の影響が反映しているようだ。
1895年の『自画像』では唇にも頬にも赤みが無く、素描学校の教師時代の生真面目な生活が偲ばれる。
フィンランド芸術協会の依頼で1915年に制作された『黒い背景の自画像』。
赤く生き生きとした唇、赤い頬。
焦点の合わないもの想うまなざし。
背景に描かれた壺の赤い色。
これらはエイナル・ロイターへの恋心の反映だろうか。
焦点深度が浅く、顔しかはっきりと描かれていない。
今、この瞬間しか見えていない。
将来の展望が効かない不安感。
そして、ぼんやりと描かれた首から下は、自分の土台がしっかりと地に付いていない不安定感を表しているようだ。
それでも、下アゴのラインは我が道を進もうとする彼女の意志の強さを表している。
この自画像では、シャルフベックが自分の強さ、弱さを正直に描き出している。
1921年の『未完成の自画像(裏)』。
暗く不透明な灰緑色で塗り覆われ、パレットナイフで傷付けられた顔。
赤黒い唇が痛々しい。
しかし、シャルフベックは絵を破棄せずに残し、裏面に別の絵を描く。
『働きに行く工女たち(表)』。
諦めと悲しみの中でもの想いに沈む右の女性。
頭蓋骨の眼窩のような眼で絶望の淵を見据えながら、赤い唇に生きる意志を見せる左の女性。
苦悩を抱えながらも生きて行こうとする決意。
自らの複雑な心の中を描くのに二人の女性を登場させているが、この絵こそシャルフベックの自画像の完成形と思われる。
1922年に描かれた『ドーラ(ドーラ・エストランデル』。
暗い赤と黒が織り成す内省的な肖像画。
顔が半ば闇に溶け、モデルの外貌から余計なものが除かれ、エッセンスだけが覗いている。
シャルフベックの語る芸術観をよく聴いてくれたドーラは、彼女にとって鏡のような存在だった。
この絵はシャルフベックの内面の自画像と言える。
1930年代以降に描かれた晩年の自画像。
すべて『黒い背景の自画像』と同じアングルで描かれている。
定点観測で自身の生を見詰めている。
死に向かっている自分。
それは自然に還って行くこと。
1945年の『自画像、光と影』は緑一色で描かれ、自身と自然とが渾然と一体化している。
1944年の『黒いりんごのある静物』。
赤いりんご(生)と黒いりんご(死)が仲良く並存し、それぞれのりんごから流れた緑の血が周りの緑に溶けて行く。
生も死もありのままでの自然への回帰。
この絵は、1877年の『静物』と対をなす最後の精神的な自画像である。
幼時の負傷による身体的不自由。
実らなかった恋愛。
世間的な幸福から遠かったシャルフベックは却ってより深く人生を生きることが出来た。
彼女が描く一枚一枚の絵から私は人生に真摯に向き合う静かな勇気をもらえた。
この展覧会を訪れて良かった、と心から思う。
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テーマ : 美術館・博物館 展示めぐり。
ジャンル : 学問・文化・芸術