生きている実感のしるし ― 『装飾は流転する』
東京都庭園美術館で開催中の『装飾は流転する』展を観た。
会場の一隅に「装飾とは何か」について観覧者がカードに書き込んでフックに吊るすコーナーが在る。
まるでNHKのドキュメンタリー番組『プロフェッショナル』のようだ。
プロフェッショナルも装飾も人によって様々な捉え方が有り、ひとことで言うのは難しい。
イメージや模様は、元は神を象るもの、或いは、神に触れるための媒体であり、神的なものと人間とをつなぐ役割を持つものとして創り出された。
それが後年、自己目的化し、人間の生活を彩るものとなり、衣食住を飾るものとなる。
これが装飾である。
それ故、装飾には手段的要素とそれ自体が目的であるような要素が混ざっている。
今回の展覧会に出品されている個々の作品を観ると、手段的要素が多いものもあれば、それ自体が目的であるかのように構えているものとが混在している。
それ自体が目的であるかのような作品は自らが主役となってキャラ立ちしている。
一方、手段的要素を多く持つ作品は脇役として生活空間に溶け込み、そこに+αの何かを産み出している。
装飾が手段か目的か。
作品が主役か脇役か。
生活空間とケンカするかしないか。
作者の装飾に対する考え方に多様性が有って面白い。
ヴィム・デルヴォアの《低床トレーラー》。
ゴシック装飾を施されたトレーラーは本来の機能を失い、壮麗な馬車のように見える。
装飾が生活を豊かにするものではなく、自己増殖するガン細胞のようなおぞましさを感じさせる。
装飾そのものが目的で、作品は唯我独尊的主役。
ニンケ・コスターの仕事はインテリア装飾や家具デザインをベースにしており、その作品は生活空間に調和している。
歴史や歴史的建造物に想を得たデザインの家具は生活空間に異なる意味を与え、空間を興味深く、魅力的なものにする。
装飾は手段的であると共に目的そのものでもある。
作品は脇役的でもあるが、主役的でもある。
生活空間と微妙な調和を取りつつも、いかにもヨーロッパの作家らしく、しっかりと個を主張している。
山本麻紀子の《Through the Windows》。
人と人とがつながる手段として装飾が役割を果たし、コミュニケーションが成立するとその装飾が残る。
作者は装飾が生まれて来るインタラクティブなプロセスそのものを大切にする。
装飾は手段でもあり、目的でもある。
作品は個を主張せず、脇役的だ。
山縣良和のファッション・ブランド「writtenafterwards」。
物語が有ってファッションが生まれ、そのファッションの後にまた新しい物語が始まる、という円環的な世界観。
言葉とイメージの相互フィードバックによって次元が変わっていく弁証法的な世界観。
生きるプロセスとしての装飾
人生のマイルストーンとしての装飾。
装飾に向き合うことで人生の深淵に触れ、神秘的なものに対峙する。
ファッション ― まとう。
まとった、くるまれた中にいる感覚と、まとったもの、くるまれたものを外から観ている感覚。
山縣の作品は、地球儀に象徴されるように、外から顧みた視点が多いのが印象的だ。
装飾は手段であると同時に目的であり、作品は個を主張している。
高田安規子・政子は、日常生活で使用する食器、衣装、装身具、雑貨等を精緻に造り込む。
旧朝香宮邸の随所に、まるで元からそこに在ったかのように忍ばせる。
元々の部屋には無い空間が立ち上がるが、それは快い驚きに満ちている。
抵抗なく心に入って来る装飾によって、観る者の認識がいつの間にか変わっている。
理性的な問題提起をせずに感覚的に入って来る装飾の持つ力の大きさ。
装飾は手段に徹し、作品は脇役的だが、とてつもない潜在力が有る。
コア・ポアが描いた大きな絨毯状の絵画。
多彩な世界が平面の中に生き生きと踊っている。
生活空間に彩を添え、豊かなものにする。
しかし、絵画世界は自立的で、生活空間からの影響を受けず、個を主張する。
アラヤー・ラートチャムルーンスックの《タイ・メドレー》シリーズ。
遺体安置所で死者のためにタイの古典文学「イナオ」を朗読する女性。
朗読される愛の詩と遺体に掛けられた花柄のプリント模様の布。
生と死がひとつながりの隣り合ったものとして素直に感じられる。
こちらの世界とあちらの世界をつなぐもの、という装飾本来の役割を見る思いがした。
今回出展している作家たちの装飾観は一人一人異なっている。
100人いれば100通りの装飾観が有るし、1,000人いれば1,000通りの装飾観が有ることだろう。
共通しているのは、装飾が予定調和的なものとして生活空間に埋没していないこと。
普段の生活とは異なる世界を垣間見せる装飾となっていることだ。
それは、現実世界を異化し、神秘的なものへの憧憬を呼び起こし、生きることの意味を振り返らせる。
私たちが生きている、という実感を、装飾は現実の生活空間の中で視覚的イメージを通してありありと感じさせてくれる。
装飾が流転するのは私たちが生きていると実感出来ているしるしなのだ。
会場の一隅に「装飾とは何か」について観覧者がカードに書き込んでフックに吊るすコーナーが在る。
まるでNHKのドキュメンタリー番組『プロフェッショナル』のようだ。
プロフェッショナルも装飾も人によって様々な捉え方が有り、ひとことで言うのは難しい。
イメージや模様は、元は神を象るもの、或いは、神に触れるための媒体であり、神的なものと人間とをつなぐ役割を持つものとして創り出された。
それが後年、自己目的化し、人間の生活を彩るものとなり、衣食住を飾るものとなる。
これが装飾である。
それ故、装飾には手段的要素とそれ自体が目的であるような要素が混ざっている。
今回の展覧会に出品されている個々の作品を観ると、手段的要素が多いものもあれば、それ自体が目的であるかのように構えているものとが混在している。
それ自体が目的であるかのような作品は自らが主役となってキャラ立ちしている。
一方、手段的要素を多く持つ作品は脇役として生活空間に溶け込み、そこに+αの何かを産み出している。
装飾が手段か目的か。
作品が主役か脇役か。
生活空間とケンカするかしないか。
作者の装飾に対する考え方に多様性が有って面白い。
ヴィム・デルヴォアの《低床トレーラー》。
ゴシック装飾を施されたトレーラーは本来の機能を失い、壮麗な馬車のように見える。
装飾が生活を豊かにするものではなく、自己増殖するガン細胞のようなおぞましさを感じさせる。
装飾そのものが目的で、作品は唯我独尊的主役。
ニンケ・コスターの仕事はインテリア装飾や家具デザインをベースにしており、その作品は生活空間に調和している。
歴史や歴史的建造物に想を得たデザインの家具は生活空間に異なる意味を与え、空間を興味深く、魅力的なものにする。
装飾は手段的であると共に目的そのものでもある。
作品は脇役的でもあるが、主役的でもある。
生活空間と微妙な調和を取りつつも、いかにもヨーロッパの作家らしく、しっかりと個を主張している。
山本麻紀子の《Through the Windows》。
人と人とがつながる手段として装飾が役割を果たし、コミュニケーションが成立するとその装飾が残る。
作者は装飾が生まれて来るインタラクティブなプロセスそのものを大切にする。
装飾は手段でもあり、目的でもある。
作品は個を主張せず、脇役的だ。
山縣良和のファッション・ブランド「writtenafterwards」。
物語が有ってファッションが生まれ、そのファッションの後にまた新しい物語が始まる、という円環的な世界観。
言葉とイメージの相互フィードバックによって次元が変わっていく弁証法的な世界観。
生きるプロセスとしての装飾
人生のマイルストーンとしての装飾。
装飾に向き合うことで人生の深淵に触れ、神秘的なものに対峙する。
ファッション ― まとう。
まとった、くるまれた中にいる感覚と、まとったもの、くるまれたものを外から観ている感覚。
山縣の作品は、地球儀に象徴されるように、外から顧みた視点が多いのが印象的だ。
装飾は手段であると同時に目的であり、作品は個を主張している。
高田安規子・政子は、日常生活で使用する食器、衣装、装身具、雑貨等を精緻に造り込む。
旧朝香宮邸の随所に、まるで元からそこに在ったかのように忍ばせる。
元々の部屋には無い空間が立ち上がるが、それは快い驚きに満ちている。
抵抗なく心に入って来る装飾によって、観る者の認識がいつの間にか変わっている。
理性的な問題提起をせずに感覚的に入って来る装飾の持つ力の大きさ。
装飾は手段に徹し、作品は脇役的だが、とてつもない潜在力が有る。
コア・ポアが描いた大きな絨毯状の絵画。
多彩な世界が平面の中に生き生きと踊っている。
生活空間に彩を添え、豊かなものにする。
しかし、絵画世界は自立的で、生活空間からの影響を受けず、個を主張する。
アラヤー・ラートチャムルーンスックの《タイ・メドレー》シリーズ。
遺体安置所で死者のためにタイの古典文学「イナオ」を朗読する女性。
朗読される愛の詩と遺体に掛けられた花柄のプリント模様の布。
生と死がひとつながりの隣り合ったものとして素直に感じられる。
こちらの世界とあちらの世界をつなぐもの、という装飾本来の役割を見る思いがした。
今回出展している作家たちの装飾観は一人一人異なっている。
100人いれば100通りの装飾観が有るし、1,000人いれば1,000通りの装飾観が有ることだろう。
共通しているのは、装飾が予定調和的なものとして生活空間に埋没していないこと。
普段の生活とは異なる世界を垣間見せる装飾となっていることだ。
それは、現実世界を異化し、神秘的なものへの憧憬を呼び起こし、生きることの意味を振り返らせる。
私たちが生きている、という実感を、装飾は現実の生活空間の中で視覚的イメージを通してありありと感じさせてくれる。
装飾が流転するのは私たちが生きていると実感出来ているしるしなのだ。
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テーマ : 美術館・博物館 展示めぐり。
ジャンル : 学問・文化・芸術