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自立への苦悩 ― 『ムンク展』

東京都美術館で開催中の『ムンク展』を観た。

かねてから感じていたことだが、ムンクの絵の色彩は彩度が低い。
複数の絵の具を混ぜて使うせいだと思うが、透明感や鮮やかさが無い。
その彩度の低さが画面にどんよりとした重さを与えている。
すっきりしないモヤモヤ感が漂っている。

また、緑色が多用されていることが印象的だ。
彩色の作品では必ずと言っていいほど緑色が使われている。
一般的には緑色は植物の葉の色に代表されるように自然を象徴する色で、安らぎを感じさせてくれる。
ところが、ムンクの緑色は逆で、重たく淀んでおり、心のざわめきや不安、嫉妬といった不快な感情を呼び起こす。

並んで展示されている『夏の夜、渚のインゲル』(1889年)と『メランコリー』(1894-96年)の違いに眼を惹かれる。
前者では人物と背景が画然と分かれている。
白衣を着た女性も岩のような硬質な質感を持って描かれている。
それに対して後者では人物と背景が混然一体となっている。
水に侵食され、浜辺も人物の衣服も泥のように溶け合っている。
人物が個として周囲の自然と対立するのではなく、周囲の自然や情景と人物が混然一体となっている状態。
この状態だと、人物は自分の感情を周囲の情景に投影し、また、周囲の情景が持つ気配を自分の内面から出て来るものの如く感じ取る。
『源氏物語』を読んでいるとこのような情景・心理描写がよく出て来るので、私たち日本人にとっては親しみやすいが、西洋人にとっては自我の危機のように感じられるかも知れない。
周囲の情景の気配を自らの中に感じる感覚が、『夏の夜、声』や『瞳、声』そして後年の『叫び』につながって行くのだと思われる。

個としての人物が他のものと溶け合っていく有り様は男女の人物像でも見られる。
『接吻』や『吸血鬼』でも二人の男女は混然一体となっている。
『接吻』では顔がひとつに溶け合い、バージョンによっては身体も境界なくひとつに溶け合って性愛の極みを暗示しているが、幸福感が感じられない。
男女の立ち姿の曲線は『叫び』の男のうねるような曲線を想起させ、何か現実から浮遊した音楽性を感じさせる。
一方、『吸血鬼』では、赤い髪の女に抱擁され、赤い髪に巻かれて、男は安心感と幸福感を感じているようだ。
男女の組み合わさった姿はしっかりと大地に根付いているように感じられる。

『地獄の自画像』のムンクの背後の大きな黒い影に眼を奪われる。
この黒い影は、(本展に出品されていないが)『思春期』の少女の背後の大きな影を連想させるし、『赤と白』の白衣の女性の後ろに漂う黒い影も同種のものだと思わせる。
この黒い影は『浜辺にいる二人の女』では、立っている白衣の女性の傍にうずくまる黒衣の女性の姿に形象化する。
この黒衣の女性は死神のようにも見えるし、母のようにも見える。
『星空の下で』では、この黒衣の女性の変形とも思われる女性に抱かれて安心感を感じている男の姿が描かれる。
5歳の時に母を結核で失ったムンクにとって、母と死のイメージは切り離せなかったのかも知れない。
また、その二人の姿は『吸血鬼』の別バージョンと思える程相似している。
『吸血鬼』の男に感じられる安心感も、母に抱かれている安心感なのだと考えればうなづける。
そして、『マドンナ』の片隅に描かれた胎児はムンク自身の自画像のようにも見える。

『赤と白』『浜辺にいる二人の女』『二人、孤独な人たち』など、明らかに白衣の女性に惹かれるムンクの心が描かれている。
しかし、何故か白衣の女性とは結ばれず、赤衣の女性と関係をもってしまう不条理が描かれる。

白衣の女性はいつも水辺に立っている。
その姿はオンディーヌやルサルカを連想させる。
男は愛に殉じようとすれば死を受け入れなくてはならない。
しかし、男は一歩を踏み出すことが出来ず、赤衣の女性によって自らの命をつなぎ止める。

生命のダンス

白衣の女性はまた、早逝したムンクの姉を連想させる。
「黒衣の女性=母」が死のイメージを纏っているとすれば、「白衣の女性=姉」もまた死のイメージと切り離せないのだ。
『生命のダンス』では、赤衣の女性と一心に踊る男の足元に花が咲き始めている。
左端の白衣の女性が姉、右端の暗色の衣を着た女性が母とすれば、自分の生き方が生命の再生につながる希望を持ったものであることを母と姉に認め、見届けてもらいたい、というムンクの願望が垣間見えるようだ。
女性無しで自立することの困難なムンクの叫びを聞く思いがする。
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テーマ : 美術館・博物館 展示めぐり。
ジャンル : 学問・文化・芸術

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プロフィール

迷林亭主

Author:迷林亭主
迷林亭主ことカウンセリングルーム・メイウッド室長 服部治夫。
三鷹市の住宅地に佇む隠れ家的なヒーリグ・スペース。
古民家を改装したくつろぎの空間で、アートセラピーや催眠療法などを活用し、カウンセリングやヒーリング、創造性開発の援助に取り組んでいます。

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