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"Genuine Life"

「増えることを求めているうちに、魂を強くする三つのもの――愛・学問・自由」

上記は、ゲド戦記の作者ル=グィンが21世紀に発表したファンタジー作品『パワー』の中で、登場人物オレック・カスプロの詩集『世界の始まり』の一節として紹介されている言葉。
私はこの言葉が大好きなのだが、現代の日本では、残念なことにこの言葉が浮いてしまう。
微温的なふわふわした雰囲気の中で無言の同調圧力に絡めとられてしまい、真摯な生き方をすることが非常に難しいのだ。
十数年前、4年弱のヨーロッパ勤務を終えて日本に帰って来た私は、真綿で包まれるような息苦しさを感じて、左眼の外転神経麻痺(後天性の斜視)を起こしてしまったことがある。

先日、メイウッドに来られた女性から、イスラエルに於けるワールドワーク(イスラエル人とパレスチナ人との対話をファシリテートする集会)に参加した話を聴いた。
そして、彼女がミヒャエル・エンデの『モモ』を、日本→スイス→イスラエル→日本と移動しながら読み継ぐ時に感じた時間の密度の違いを聴いた。

私は彼女の話を聴きながら、ふと”Genuine Life”と言う言葉を思い浮かべていた。
それは「本物の人生」であり、「真摯な生き方」であり、「純粋な生命」でもある包括的な言葉であり、日本語でピタリとした言葉が思い浮かばなかった。
それはまた、私がかつて、自分自身の体験や世界中の人と接して話を聴くことによって得て来た実感、でもあった。

ワールドワークに参加しているパレスチナ人、イスラエル人、そして彼女達ファシリテーターは正に”Genuine Life”を生きているのだ。
彼らは不断の生活を通して愛、学問、自由の大切さが切実に分かるし、それらが魂を強くすることも実感として分かることだろう。

“Genuine Life”の持つ「純粋な生命」と言うニュアンスは、ジェンドリンの説く体験過程が推進されている感覚に通じるし、ロジャーズの自己一致の感覚にも通じる。
自分が心身で感じている生命の流れに忠実に行動・生活を具現化する。
生きている実感のある生き方、人生。
それは表面的な豊かさや幸せとは異なり、本当に質の高い生の在り方なのだと思う。

“Genuine Life”を生きることは魂の質を高め、その力を強くする。
そして魂の質と力が癒しの源となる。

カウンセラーと言う職業は、クライエントが”Genuine Life”を生きられるように援助することだ。
そのためには、自らが”Genuine Life”を生きるように日々精進したい、と改めて思う。

テーマ : 人生を豊かに生きる
ジャンル : 心と身体

箱庭療法 - 1年後の気付き

2010年6月9日に、自作の箱庭を紹介する記事を投稿したが、あれから1年経った今日、新たなことに気付いたので追記したい。
旧い記事なので、改めて下記に引用し、その後で新たな気付きを追記することにする。

Quote:

今日は久しぶりに自分で箱庭を作ってみた。
何となく真ん中に水のある風景を作りたいという気持ちがしたのだ。

砂をかき分けているうちに、トマトを逆さにしたような湖が出て来る。
湖に流れ込む川を作りたくなって2本の角のような川を作る。

NEC_0021.jpg

左の川の源流には滝、右の川の源流には火山。
中央の奥には深い森に鎖された山脈。
その前に2頭の恐竜が向かい合い、リンゴを守っている。

湖の右手前にはトンネルを抜け出て来たウルトラマンが立つ。
向かい合うのはティラノサウルス。
何となく対峙する両者を見守る者を置きたくなって大仏を置く。
そして、湖の彼岸のリンゴに向かい合うように、ウルトルマンとティラノの間にオレンジを置く。

ウルトラマンの背景には家とクルマ。
ティラノの背景には原始的な動物達に宗教施設。
人工の世界と非人工の世界の対比。
向こうの山脈は、それら人工の世界と非人工の世界を超えた包括的な自然、宇宙の真理を象徴しているもののように見える。

ウルトラマンは私の分身として置いた。
トンネルの手前には子供がいて、トンネルは私の成長(変容)過程を表している。
一方、対峙しているティラノサウルスも私自身だろう。
私の影。無意識の自分。
それは、洞窟の中から、地中から抜け出て来ている。
対立する両者を見守っている大仏もまた自分自身。
プロセス指向心理学的に言えば、
ウルトラマンがプライマリー・プロセス(意識している自分)、
ティラノサウルスがセカンダリー・プロセス(無意識の自分)、
大仏はオブザービング・セルフ(プライマリー・プロセスとセカンダリー・プロセスの両者をメタ認知している自分)
ということになろうか。
つまり、ウルトラマンとティラノサウルスと大仏の三位一体で自分を表しているのだろう。

出来あがった箱庭を反対側(山脈の後ろ)から見てみると、この箱庭が左右だけでなく、上下にもシンメトリーに作られていることに気付く。
先程、宇宙の真理たる山脈の在った位置には大仏が在る。
思わず、「あっ」と言う声が出た。
宇宙の真理は見ている自分自身の中にある。
私はケン・ウィルバーの文章を思い出す。
『この「目撃者」こそ、「スピリット」に他ならない。それは、それが作り出した世界を見ているのだ。』

箱庭の面白さは、文章で読むと分かりにくいことが、イメージの世界で直観的に掴めることだ。
私は満足して箱庭を元に戻したが、湖のほとりに置かれたリンゴとオレンジが何を意味するかは分からなかった。
それが分かったのは、数時間経ってからだった。

トマトを逆さにしたような湖の形が気になっていたが、それが人間の2つの器官を象徴しているのではないか、と気付いた。
ひとつは子宮だ。
火山と滝から流れ下る川は、火と水という2つの卵巣から子宮へと結ばれた卵管だ。
従って、果実のひとつは新しい生命を意味するものだろう。

連想されたもうひとつの器官は脳だ。
従って、もうひとつの果実は、火と水からインスピレーションを得て創造された新しい想念(世界を捉える知恵)を象徴するものではないだろうか。

世代をつなぐ新しい生命と新しい知恵を産み出して行くこと。
それが、今生を生きる人間としての課題である、ということを暗示しているかのようだ。

Unquote:

当時は納得して書いた文章だが、今日箱庭を見直してみると、リンゴとオレンジと言うふたつの果実が分かれて存在していることが気になる。
これらの果実が、新しい生命と新しい知恵を表しているだけでなく、身体と頭を表しているようにも見えるのだ。
もし、そうだとすれば、頭と身体が別々に分かれていることが問題となる。

しかし、改めてリンゴとオレンジの間を見れば、そこには何度か喩えられているように、トマトの形をした湖が横たわっている。
このトマトは頭と身体をつなぐもの、つまり、心、或いは、魂を表しているのだ、と考えるとしっくり来る。
リンゴとオレンジとトマトの三位一体、頭と身体と魂の三位一体が箱庭の中心部に形成されているのだ。

トマトの湖に焦点を絞って見れば、それは子宮であり、脳であり、そして魂である。
ひとつで三重の意味を持っている。
この箱庭は魂の湖を中心としたマンダラを構成しているのだ。

魂は自らの場所を箱庭作りの最初に定めた。
しかし、それに気付き見出されるのは最後になった。
最初から在るのに最後に発見される、正にそれは根源的なものの性質のメタファーのように思われる。



テーマ : セラピー&ヒーリング
ジャンル : 心と身体

占いとカウンセリング

占いは多くの人に人気がある。
誰でも自分自身について知りたいと思うし、その中でも、自分の運勢(運命)がどうか、という情報は最も興味のあるもののひとつであることは間違いない。
占いは、そのニーズに応えてくれる。
しかも、簡単にそのニーズが満たされる。
占い師に会って、直接占ってもらう場合でも、30分から1時間程度の時間を1回使えば答えが得られる。

翻って、カウンセリングには占いのような人気がない。
運勢が知りたい、というような誰にでも共通した一般的な動機から受けるものではないので、その効用がよく知られていない。
また、大抵は複数回、継続的に受ける必要があるし、簡単に答えが得られる訳ではなく、自分自身で答えを見付け出さなければならないことも、敷居を高くしている理由であろう。

産業カウンセラー要請講座のテキストに、カウンセリングと占いの違いについて、下記のように記述している。

「カウンセリングも占いも、前途に迷い・不安をもつ人への援助である。占いは本人に安心と希望を与える暗示的効果をもつが、カウンセリングは、占いのように暗示を与えることも、運勢を予測することも、吉凶を判断することもしない。」

上記の文だけでは、カウンセリングとは何かがよく分からないので、長くなるが、日本カウンセリング学会の定義を下記に引用する。

「カウンセリングとは、カウンセリング心理学等の科学に基づき、クライエント(来談者)が尊重され、意思と感情が自由で豊かに交流する人間関係を基盤として、クライエントが人間的に成長し、自立した人間として充実した社会生活を営むのを援助するとともに、生涯において遭遇する心理的、発達的、健康的、職業的、対人的、対組織的、対社会的問題の予防または解決を援助する。すなわちクライエントの個性や生き方を尊重し、クライエントが自己資源を活用して、自己理解、環境理解、意思決定および行動のコントロールなどの環境への適応と対処等の諸能力を向上させることを支援する専門的援助活動である。」

堅苦しくて分かりにくいかと思うので、私の言葉で、占いと対比しながら、カウンセリングとは何かについて補足説明したい。

占いの効用が「自分の運命を知ること」であるとすれば、カウンセリングの効用は「自分の運命を変えること」である。
そして、「占いは本人に安心と希望を与える暗示的効果をもつ」のに対して、「カウンセリングは本人に安心と希望を与える」のである。

占いの場合、優れた占い師が的確な判断とアドヴァイスを与えたとしても、それを受ける本人は受動的に受け取るだけである。
従って、聞いた当初は安心感と希望が持てても、状況が変わって来るとどう動いてよいのか分からなくなり、再び不安や迷いが生じる。
そして、占い師の元を何度も再訪することになる。
依存的になり、自分の生き方に対して、本当の自信が感じられない。

カウンセリングの場合には、様々なワーク等を通じて自分を知り、自分の中に埋もれているリソースを引き出し、自分で選択する。
従って、自分の選択に対して自信が持てるし、真の安心感が持てる。
また、自己理解を深める過程で、副次的に自分の運命を知ることもある。
そして、自分の人生を主体的に生きることができるようになると、自分の運命が変わって行く。

かく言う私も自分自身で占いをする。
タロットを使ってアセスメントをする。
すると、自分を取り巻く状況がよく映し出されている。
占いに運命を知る効用はある。
しかし、運命を変える力はない。
運命を変える力をもつのはカウンセリングである。



テーマ : セラピー&ヒーリング
ジャンル : 心と身体

フォーカシング体験

フォーカシングについては6月28日の記事を読んで頂くとして、本日は、私自身がかつてフォーカサーとして体験した内容をご紹介したい。

この時には、気になっている事柄を入口としてフォーカシングに入った。
気になっている事柄とは何となく空虚な感覚で、私は『空き箱』と名付けた。

『空き箱』を身体の中に戻したところ、胸の中いっぱいに何かがムッと充満しているような感じがする。
中に石炭の燃えがらが詰まった箱のような感じ。
胸の中のムッとした感じが治まって来て、少し穏やかな温かさが腹の下の方へと降りて来る。
眼の前にプールが見える。
プールの角の外側からプールの方を見ている。
プールの中には黒い色をした液体が満たされ、底の方からトクトクと湧き上がって来るように、いくつものゆるやかな山のような波立ちが起こっている。
プールの向こうは全面窓で薄曇り。
突然、のどから胃の辺りにかけてグッと詰まったような熱さを感じる。
気持ち悪い。
しばらくすると、熱さが右側に動き。それから下に下がって来る。
眼の前に、板のような物で作った折りたたんだ脚と、脚の先にくくり付けられた車輪のイメージが浮かぶ。
昆虫の脚みたいだ。
次第にバッタのような昆虫の全身が見えて来て、羽を拡げて、今にも右から左へと飛び立とうとしている。
すると、右上の方から真っ黒な帳が降りて来て、徐々に視界を覆い尽くす。
眼の前は真っ暗で何も見えない。
突然、右腹に感じていた熱さがピョンと左腹に飛ぶ。
視界の下の方から白い光が上って来る。
白い噴水が吹き上げているようだ。
丹田の辺りにしっかりした温かさを感じる。
その温かさは強く安定していて動かない。
先程、間を取った後に感じた、野原の太陽の日射しの感覚に似ている。
「その状態に何と名づけますか?」
「生命(いのち)」

テーマ : セラピー&ヒーリング
ジャンル : 心と身体

フォーカシング

今回は、メイウッドで行っている心理療法のひとつであるフォーカシングについて書きたいと思う。

フォーカシングは、ユージン・ジェンドリンがカール・ロジャーズのカウンセリングの録音を分析して、上手く行ったカウンセリングには共通してクライエントが何らかの体感覚を感じながら言葉を発していることを発見して、それを心理療法の技法として体系化したものである。

人が悩みや苦しみを感じる時には、頭で考えていることと心で感じていることが一致していない。
不一致が大きくなると、それが心身症として身体症状に出たり、神経症として現れたりする。
身体は頭よりも心と親和性があるので、身体の中の声に耳を傾けることで自分の心を知り、大事にすることが心身の健康を取り戻すために効果を持つ。
フォーカシングはそのための有効な技法である。

フォーカシングを行う人のことをフォーカサーと呼び、フォーカサーの介添えをしてフォーカシングの促進を援助する人のことをリスナーと呼ぶ。

フォーカサーは眼を閉じ、呼吸を整え、少しぼんやりとした意識の状態に入って行く。
そして、身体全体にぼんやりと注意を向けていると、気がかりな人や事柄が浮かんで来て、それに伴って異なる体感覚を感じる。
それらひとつひとつの人/事柄と体感覚の組合せにそれぞれ名前を付けて、身体から離し、どこか好きな場所に置く。
気になるものを全部外に出してしまうと身体の中に「間(スペース)」が出来る。
これを「間を取る」と言う。
間を取って、その時の身体の感覚を覚えて置く。

次にいよいよフォーカシングに入って行くが、3つの入り方がある。
ひとつ目は、間を取った際にどこかに置いた気になる人や事柄からどれかひとつを選んでそれを感じること。
ふたつ目は、今のからだの感じを感じること。
みっつ目は、この頃どんな感じて生きているかを感じること。
どの入口から入っても結局は同じ感覚に行き着くのだが、その時にフォーカサーが入り易いと感じる任意の入口を選択すれば良い。

いずれかの入口から入って、しばらくぼんやりと身体の感じを探っていると、そのうちに何らかの感覚を感じて来る。
例えば、首筋が重くなって来る、とか、脇腹がチクチクして来る、とか。
こうした体感覚のことをフェルト・センスと言う。
フェルト・センスは潜在意識の中にあるものが境界のこちらへと浮かび出て来る言葉になる前の言葉の原型なのだ。
フォーカサーは自分が感じているフェルト・センスを言葉にしてリスナーに伝える。
リスナーはフォーカサーの言ったことを繰り返したり、共感的な質問をしたりして、フォーカサーが安心して自らのフォーカシングに集中出来るように援助する。
フォーカシングの最中には、体感覚だけでなく、イメージが出て来ることもあれば、感情が表出されることもある。
自分のフェルト・センスと取り組んでいる時のフォーカサーの表情はつらそうなことが多い。
つらそうなフォーカサーの表情が或る時ふとなごむ。
リスナーが「今どんな感じですか」と尋ねると、フォーカサーの体感覚に変化が現れている。
この変化のことをフェルト・シフトと言う。
1回のフォーカシングの中で何回もフェルト・シフトが起こることもある。
大抵、フォーカシングが終わる頃には体感覚が心地よいものに変わるか、心地良くは無くとも、イヤな感じが我慢出来る程度に軽減された状態になって来る。
解決しないが、フォーカシングをこれ以上続ける気力が無くなった場合には、最後に残った体感覚に名前を付けてどこかに置いて、次回取り出せるような処置をしてセッションを終了する。

フォーカシングをしている最中に、自分の抱えている問題への気付きを得ることもあるし、セッションが終了して自分の家に帰宅してからフォーカシングの意味に気付くこともある。
そうして得た答えは本当に自分の心の中から出て来たものなので、納得感が得られる。

次回の記事では、私自身のフォーカシング体験を事例としてご紹介したい。

テーマ : セラピー&ヒーリング
ジャンル : 心と身体

プロフィール

迷林亭主

Author:迷林亭主
迷林亭主ことカウンセリングルーム・メイウッド室長 服部治夫。
三鷹市の住宅地に佇む隠れ家的なヒーリグ・スペース。
古民家を改装したくつろぎの空間で、アートセラピーや催眠療法などを活用し、カウンセリングやヒーリング、創造性開発の援助に取り組んでいます。

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